胡蝶のオラクル

日本昔ばなしタロット、ヘリオセントリック占星術、チャネリング。普段は家で寝てます。

自分と食事

ここ2週間くらい

落ち着かなくて

やる気がおきなかった。

 

でも

3日続けて

ふと涙が出てくることがあって、

何かが癒されている感覚がある。

 

 

さっき

料理の本を見ながら

ポロポロ泣けてきて

 

(その料理の本、

見ると具合悪くなるから

ずっと置きっ放しだったんだけど

いきなり見られるようになって。)

 

 

すごく小さい頃のこととか

もう少し大きくなってからのこととか

思い出せないんだけど

なんとなく

自分がかわいそうな感じがして

泣けてきて

 

でも、

あんまし嫌な感じじゃなかったから

癒されたり、許されたり、

許したりできたんだと思う。

 

 

 

 

前は

よく噛もうと思って

噛みながら

悲しくなって

泣いたりとか。

 

なんで

食べるのが

そんなに辛いのか

自分でもよくわかんないんだけど

 

とにかく

食べるのと幸せなのが

ストレートに結びついてなくて

こじらせちゃってるのは

わかったけど

どこでどうこんがらがってんのか

全然わかんないから

 

なんとなく

幸せに

食べられないことを

誰かに責められてるような気もするし

よく食べられる子だって思われないと

大人にバカにされるというか、

嫌な思いする気がしてて

 

なんとなく、

妹の方が食べっぷりがいいから

可愛がられているみたいな

焦りもあったような気もするし

 

 

 

やっと、

「食べたくない」とか

「お腹すいた」とかが

時間じゃなくて

自分の感覚で認められるように

なってきた気がするけど

まだまだの気もする。

 

 

 

 

 

 

抵抗があんましない食事と

すごく抵抗を感じる食事があるみたいで、

もしかしたら

それを書き出して

分けてみたら

共通点があるのかもしれないと

思って、

 

今までは

胃腸が弱いとか

お母さんが小さい頃の私の

食が細いのを不安がってたのとか

そういう、

親のせいにしたり

自分の身体のせいにしたり

何かのせいにすることしか

思いつかないし

それを追求しても

あんまし意味ないってこともわかるから

結局は考えるのやめて

食べないと死んじゃうから食べるというか

本当はそんなすぐには死なないけど

夫が心配するから食べたりとか。

 

でも

美味しいかどうかじゃなくて

辛くなるかならないかで

食事を分けてみたら

もうちょっと簡単に

自分のことがわかるかなって思った。

 

 

特に飢えたわけでもないし

食べたいもの食べられないような

現実的な金銭面の理由があるわけでもないのに

なんでこんなに

食生活と向き合うのが

辛いんだろう。

 

で、

それで

食べたくないなら

食べないままいればいいだけなのに

なんで改善したいんだか

よくわからない。

 

 

なんていうか、

食生活に改善の余地がある自分には

生きている価値がないというか

生命としての存在価値がないみたいな

よくわかんない頭の中の差別があって

その差別を受けないためには

よりよい食事に

ベクトルが向いていなければならないという

マイルールがあるんですよね。

現状として。

そして

完璧を求め続けるというか。

 

 

 

 

 

本当に

ちょっとしたことなんだけど

 

テーブルだと

食べる時に

悲しくなって

止まっちゃうのに

 

立ち食いみたいなのだと

抵抗なく同じものが

食べられたり

(だからかわからないけど

バーベキューとか立食パーティー

とても楽。

でも、バーベキューが食べ物として好きなわけではない)

 

 

 

テレビついてると

味がしなかったり

 

背中側が、壁かそうじゃないかによっても

食べられたり食べられなかったりする。

 

 

食べられるように

食べればいいから

お行儀とかはあんましこだわらないで

おいしいように食べればいいと思って

やってきたけど

 

 

お料理の本見て

「美味しそう」って思ったときに

涙が出てきたから

 

なんとなくだけど、

もしかしたら

私が抵抗を持っているのは

食べるとか、創ることではなくて

おいしいと思うことそのものじゃないのかって

思いついた。