胡蝶のオラクル

日々いろいろな世界から入ってくるチャネリングを書いてます

ツインレイに会って思ったこと

ツインレイっていう概念には

振り回された…

 

「この人はそうなのか?」みたいな感じで。

 

 

おんなじ魂なんて

絶対に興味がある。

しかも

魂が覚醒してきたら会えるとか

なんかかっこいい感じだ。

しかもどういうわけだか

セックスすると気持ちいいとか?

低次元なんだか高次元なんだかわからん。

いやえらく低次元だな。

なんだこれ。

 

ツインレイについて書いてある記事で

「なるほど。それなら魂が成長するのに

合理的と言える。」と感じるものが

あまりなくて

 

文字情報から調べても

さっぱりわからなかったから

会ってみたかった。

 

 

 

解明したいことは

たくさんあった。

 

 

 

まず

ツインレイは

魂がある程度まで覚醒してから

会えると書いてあるのに

ツインレイと会った後に

なんで修行がハードになるのかが

分からなかった。

自分と同じ魂だから

自分のいいところも悪いところも

見せつけられて苦しむというのは

納得がいったけど

だったら、そのような状態で

なぜ魂がある程度まで覚醒していたと

言えるのかが

わからなかった。

 

 

それと、

ツインレイと繋がって

2人の魂が一体化した時に

輪廻転生が終わるとか、

ツインレイでない人と

平穏な結婚生活をズルズル送っていると

また来世もやり直しになるとか、

 

そんなん聞いたことねぇなって思った。

 

ツインレイは誰にでもいるそうだけど、

それなら

ブッダにも、イエスにも

ツインレイがいたんだとして

彼らのツインレイ誰だよって感じだし。

 

もちろん、史実に残ってないパートナーは

いたかもしれないけど

ツインレイの魂は2人とも

同じくらいに覚醒していくって

設定らしいんですよね。

 

となると、

エスのツインレイは

エスと同等レベルの女ということに。

すると、

聖女のマグダラのマリアでも

まだ弱いということになりませんか。

 

密教では

パートナーとの繋がりによって

宇宙と繋がるって考えもあるようだけど

それに該当しそうな

アセンデットマスターは

ほんの一部であって

だいたい多くの聖人は

独身というか、

ツインレイらしき人物とセットには

なってないですよね。

仲間はいるけど。

 

 

それと

ツインレイと出会うことが

魂の修行の集大成だとしたら

その後、どうなるのかが

意味不明だと思った。

 

ツインレイは

魂が覚醒してから出会うので

若いうちだと出会えなくて

どちらかが結婚してから

出会うこともあるってことらしいんだけど

その理論を私の感覚で当てはめると

20代30代40代で

出会う理由がわからない。

輪廻転生から抜ける

集大成の学びなんて

死ぬ直前の仕上げでいいのではないかなと。

 

精神的な繋がりから学ぶことに

年齢は関係ないし。

 

えらくラブラブだとか

セックスの相性を持ち出すけど、

解脱したら

もう魂は肉体持たなくなるんだけど

わかってんのかな…

この人むしろ解脱しないで来世も身体に入って遊びたがってるように思えるけど…ツインレイと会わない方がいいんじゃね?

みたいに感じることも多かった。

 

 

ツインレイって概念は

私が

スピリチュアルについて

「これは鵜呑みにしない方がいいな」と

感じることの多いものでもあった。

 

いろいろ調べてきたけど

ついに、

怪しいものを見つけたぞ!

と思った。

 

 

 

 

 

 

でも

やっぱし

興味はあった。

 

別に不倫したいわけじゃないけど

知的好奇心が抑えられない性分だから

そんな人いるなら

会ってみたいなあ、と。

 

 

 

そこで

守護霊?ハイヤーセルフ?のようなものに

宣言とお願いをしてみた。

 

●ツインレイの学び面白そう。今世中にやらせて。

●私と旦那と我々の結婚を祝福した人に悲しい思いをさせるカリキュラムは不採用。私は魂の成長を拒むから心しておくように。

●不倫以外の方法で魂成長するように、はからって。

●旦那がツインレイでもツインレイじゃなくても、それは関係なく我々は幸せに暮らすんだから、邪魔するな。

 

 

 

私は、ハイヤーセルフと会話するときに

こういうふうに成長させろとか、

こっちに導けとか

言います。

 

この時は

すごく注文をつけました。

とにかく、ツインレイには

会いたかったんですよね。

好奇心があるから。

 

でも、ツインレイについて書いてあるブログにはほとんど不倫を肯定するようなのがあるから

「他人のことは知ったこっちゃないけど、うちの家庭は魂の修行の犠牲にしない」

「来世も輪廻してやり直しになっても構わないから、今世は今のとおり平穏がいい」

と強く念じると

通じたらしく、

しばらくすると

ツインレイは現れた。

 

 

 

 

すごく不思議な経験だった。

会う前から

自分の勉強になることは

なんとなく感じていたけど、

何が起きるのかよくわからない感覚で

楽しみだけど、

普通みたいな

文章にうまくできない感覚で

そもそも会う前は

ツインレイだってわからないから

単に、人と会う約束あるけど

楽しみみたいな感じ。

 

とにかく落ち着いた。

喋り終わる前から

内容がわかるとか、

話が通じるって言うのが

面白かったし

それと

私には、ダーっと喋り続けちゃう癖が

あるんだけど

いつもは

喋ってる間、

伝わらない感覚があって、

どうせこれだけ説明してもわかってもらえないんだろうなって諦めがあって、だけど義理で最後まで言うみたいな気分があるんだけど

彼と話してる時は

「こんなに喋らなくても伝わってるのに、なんで自分長々と喋ってんだろう。返事聞く時間減るから終わりたい」みたいな感じだった。だけど、話し方の癖だからすぐには直らないけど。

 

目につくものが同じ。

変な人だと思われるのが怖くて表現するのを抑えている感覚が、共有できて、というか、向こうが表現してくれて、そうですねえって追随するだけで、自分の感性をそのまま受け入れたような心地いい感じがした。心地よかった。

 

恋愛とかで、例えばいじめられたとか、親とうまくいかなかったとか、仕事が辛いとか、夢のために頑張ってるとか、そういうのを共感されて癒されることって珍しくもなくよくあることだと思うんだけど、そんなんじゃないくらいもっと深いところの寂しい感じ…

小さい頃の、夕焼け見たりとか、お腹すいたとか、寒くなったりしたとかの切ない感じとか、火を見たりとか、深い水の底を見たり、いつか自分もお母さんも死ぬって初めて思いついた時のすっごい怖かった感じが癒される。

お母さんに、怖がって、安心させてもらえるんだけど、それが一時的でまたなんかあったらまた怖いみたいな、そんなもう癒されるわけないから諦めて、本当はまだ怖いんだけど、気にしてたら生活できないから考えてないことにしてたのまで全部癒されて、生きてきた間に起きた全部の思い出したくないことが一回リセットされて流された感じ。

小さい頃、お母さんを独り占めしてた時間にもう戻ることはできないんだけど、あれよりももっと安心できる感じ、自分が経験したことないくらい想像したこともなかったくらい安心できる感じがあって、

歩きながら「いつか死んだら、こんなに落ちつくところに帰れるんだ」って思った。

死んで思考がなくなって意識だけ残るとしたら、今自分が経験してるモヤモヤしたり、ちょっと悲しい感じが残って、心で鼓舞してテンション上げてる分がなくなるんだとしたら、どうなるんだろうって思っていたけど、こんなに落ち着く世界があるなら、それがわりと長時間、永遠くらい続いても全然いいやと思ったし、暇にもならなそうだって思った。

死ぬときは、この時間を思い出したら怖さが減るだろうなあって思った。

これが一番大きな経験だった。

 

他にも、人間としての彼も面白かった。

彼に会ったことで、私の自己理解は急進した。今まで他の人に言われても全然パッとしなかったこととか、別にそこは変わったところでもなくない?って思っていたことが、自分以外の人の行動として見せられると「あ。こんなふうに見えるんだ」って思った。

素晴らしい作品を継続して作ってるのに、全然、お金に変えようとか、人に渡そうとしないところとか、でも自信がないと作れない作品だったり。そういう芸術家として独特のクセがあったり、礼儀正しくて優しそうでファンがいるのに、そことの交流をしようとしないところとか、期待しないところとか、向けられてるのが好意的なものでも、なんとも感じないところがあったり、とても淡々としている。

他の人からもらう評価に価値を感じていないというか、自分の思うことの実現が全てで、勝手にしてる感じ。

ああ、私ってこういうふうに見えるんだなっていうのがよくわかって、別にそれがわかったのって初めてじゃないから、今までも気づいてたんだけど、悪いことだと思ってたから、逆に努めようとしていた。だけど、そういう性質が全部受け入れられて、むしろこのままでいいというか、この人と同じような性質の何者かに帰ろうと思った。

 

そして、何にもしなくてもいいんだってことがすごく腑に落ちた。というのも、彼が一旗あげて有名人になったり、今以上にいい暮らしをしてくれなくても、充分に価値があるし、彼のすごいところを彼自身は全くそう感じていないし、そういう諸々を踏まえたとき、私もこのくらいで充分だろうって思った。そして、自分を素通りしていったいろんな人からの賞賛が、今までの私にとってはそんなに嬉しくもなくて当たり前だったこと、彼と同じで自分のいいところが見えていなかったこと、だけどそれも含めて許せてしまうことや面白さや、劣等感ぶってる中にかなり厳重に自信がある変な感じを生んでいることがわかった。それで、このままでいいやって思った。

それと、天国に行く方法もわかった。それまでは、いいことをした立派な人が天国に迎えられるんだと思っていたけど、そうじゃなくて、こういう感覚でいる間、その人がいる場所が安らかなんだと思った。