胡蝶のオラクル

日々いろいろな世界から入ってくるチャネリングを書いてます

ゲームの攻略に不必要な労働時間って人生にもないかしら

ゲームしてて。

 

カービィとか。

 

 

なんか

人生って

ゲームより複雑なはずでいて

ゲームほども理解できないなって。

 

 

 

やってて

思ったんですけど

 

 

私たちにとって

人生を生きてる時間って

全部の時間のはずなのに

実際は

そう感じられなかったりするとき

あるじゃないですか

 

それって

ゲームで言うところの

セーブ画面とか、

あと

面を移動するところとか

部屋とか地図の、敵が出てこないところ

なんじゃないかなって。

 

 

 

その時って

「今、ゲームしてる」って

感じないじゃないですか。闘ってないし。

でも

親とかが見てたら

れっきとした

ゲームしてる時間じゃないですか。

 

 

 

 

 

めんどくさいけど

必要な時間じゃないですか。

 

 

 

一回クリアしてるのに

アイテムとか能力とか取りに

戻ったりしないといけないことあるし。

 

 

 

 

それって

自分の感覚では

ゲームに挑戦してるっていうより

作業とか労働に近くないですか?

 

なんていうか

めんどくさい。

 

 

でも

親が見たら

ゲームして遊んでることに

なるじゃないですか。

 

こっちだって

わざわざ2面に戻るの面倒と思ってるのに

遊んでいることにカウントされるみたいな。

別にいいけど。

 

 

 

 

私たちの人生も

あんましゲームしないタイプの人が

後ろから見てるみたいに

 

レベル上げしてるだけの時とか

命を回復させてるだけの時とかって、

それが

闘いを伴う(でもクリアできる)と

余計にそうだけど

チャレンジ場面との

区別つかないんじゃないのかな

 

要するに

まだクリアしてないところに

挑戦しているのと、

戻ってなんか取るためにやってることを

区別つけるの

難しいんじゃないのかな。

 

 

 

 

 

それで

よく考えたら

地図を行ったり来たりしてるだけとか

部屋を出たり入ったりしてるだけでも

はたから見たら

ゲームしてることになるんですよね。

 

これを人生でやると

時間は過ぎてるのに

あんまし進んでないってことが

起きるんじゃないかなって。

 

 

 

 

もしかしたら

自分の長所を生かして

人の役に立つのって、

すごくいいことのようでいて

反面

前にクリアしたところを

繰り返して

アイテム等を稼いでる時間でしかなくって

全部が無駄ではないけれど

どれだけやってレベルMAXにしても

全面クリアになるわけじゃないのと同じで

 

人の役に立ったぶん

ボーナスとかアイテム的なものは

手に入りやすいけれど

魂がそれによって前進するかというと

そうじゃないんじゃないかなって

気がしてきた。

 

 

 

例えば

私は

日常生活の中で

単刀直入に

でかい問題点を指摘して

人の役に立つのが

容易にできる方なんだけど、

だから

矯正の世界で働くのは向いてたんだけど

 

 

これが人の役に立つのは確実だけど

たくさんやったところで

私自身が成長するかっていうと

それは別の話なんじゃないかなあ。

 

人の役に立つことと

自分がチャレンジするべきことは

別だと思った。

 

 

多分

アイテム稼ぎをすることと

攻略していくことは

実は、別で

 

この区別がつかないまま

誰かの人生を参照しようとすると

部屋から出たり入ったりしているだけの人を

ダメージ0ですごいって思ったり

最短でクリアできそうな人を

レベルが低いって思ったり

してしまいそうだ。

 

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