胡蝶のオラクル

直感を使ったことを記録します。予感することから、確信することまで。

茶会はとても凛としていて良かった

茶会に

出席できて

とても良かったです。

 

 

2年前に亡くなった大先生の

お写真が床の間に飾られ

実娘の先生による供茶を拝見しました。

 

また、

長年弟子でいらした先生方が

講話でわずかに

涙声になったときも

身の引き締まる思いがいたしました。

 

 

 

 

面倒だけど

辞めるのがもったいないだけの理由で

だらだら続けて

そんなに真剣にやっていなかった

茶道ですが

 

 

「もっと、ここのことを聞きたかった」

「先生ならばどうするかといつも考えて

   2年間を過ごしている」

という

先生方の話を聞くと

 

教えて下さる人の言葉を

聞き流している場合ではないと

感じました。

 

 

 

一生懸命稽古をし、

いつか自分も

先人の知恵を

次に歩む人に

伝えることができるようになれば

とても嬉しいことです。

 

 

 

 

 

もうひとつ

感じたことがありました。

 

楽しむことと健康であることは

深いつながりがあるなどと、

前日準備にそんなことを考えて

記事にも書きましたが、

新たな思いが芽生えました。

 

 

 

人の身体は衰えるし、完璧ではない。

そもそも

生きている私たちは見苦しいし、

例外なく醜い。

最初から、

恥ずかしがらなくていい。

 

 

 

お茶も10年続けることができました。

私は10歳をとって

10年前よりはできることが増えました。

それでも

同年代の人と比べて

あれができない、

これができないとつい言っています。

 

 

一方で先生方は

出会ったばかりの10年前より

お膝や腰に痛みがあったり

喉がよくなくて声が出せなかったり。

 

身体の都合で

できることが減っていることもあります。

 

 

 

それなのに

先生方は、

誰一人

自分の身体に文句を言っていない。

お茶目に、話題にしているだけ。

愚痴っていない。

 

 

咳が止まらなくなったら

ホテルの人にお水を持ってきて

もらっていました。

 

正座が辛いので

正座用の小さな椅子を使いますが

余分に用意して

他の方にもすすめていました。

 

頻繁に立ち上がれないから

お道具の運び出しを

別の方にお願いしています。

 

 

 

「体調管理は社会人の務め」

などとはよく言いますが、

本当に成熟した作法は

人の身体に完璧を求めず、

その先を見据えているのでしょうか。

 

 

できないこと、

人にお願いすることを思って

卑屈になるのではなく

最大限のできることに

目を向けていらっしゃいます。

 

 

それどころか、

身体が衰えることそのものすら

 

同じように衰えて亡くなっていった

先生に近づいている、と

光栄に感じておられるように見えました。

 

 

 

 

 

 

先生方のように

精神の修行に集中すれば、

 

「また熱が出て動けない」

「鼻水が格好悪い」

「咳の音がうるさい」

「居眠りしてしまって情けない」

「遅刻してしまった」

「休まなければならない」

「早退しなければならない」

 

といったときに

自分を責めるのではなく

 

仕方のないこととして受け入れて

さて、

ここからどうしようか

次からどうしようかと

考えられるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

身体は自然の一部だから

川や天気や作物と同じで

自分の思いどおりにはならない。

 

 

持病があっても、なくても

本日用意された身体は

今ある「これ」なのだから

 

 

 

花を活けるとき、

枝の全体を見て

もっとも美しい角度を探すように

 

もっとも良く見えるような場所を

自分に用意してあげられると

いいと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

職場は

働き盛りの

30代から40代、50代の先輩がメイン。

病弱体質のままで

価値観をすり合わせてやっていくことが

辛いですが

 

60代から90代の先輩方は

また違った価値観を

与えて下さるので

 

 

やっぱし

お茶をやっていて良かったなと

思います。

 

 

 

 

 

 

 

今日の旦那

 

 

 

仲良しの職場の人のお引越しを

手伝うつもりで用意しましたが、

到着が遅くなるからいいよと

言われちゃったそうです。

気持ちだけでも伝わったから

いいと思う。