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眠すぎる! 特発性過眠症 眠すぎる!

2017年からは過眠症は関係なく旦那の行動観察と自分の気分を書きます。特発性過眠症の方は、記事の内容に関係なくコメント下さい。お友だちになりましょう。

たこ焼きが頭から離れない

心の底

「たこ焼き 無意識」でググったら

結構いろんなのがヒットしました。





良かった。


無意識のことを 考えるときに


同時にたこ焼きのことを 考えるのは


ZENが変態だからではないんですね。





さて、



前回、
ユング心理学の先生から教わった
変な図が


たこ焼き 焼いてるところに見えるという
話で終わりました。



今回はその
たこ焼き1つずつを
もっと詳しく見ていきたいと思います。







というのも、

私は
魂とか輪廻とか

よくわかんなくて。

「こういう考えをインドではします」
的な理屈だけなら
わかるんだけど。


そのせいで、
手塚治虫ブッダ
後半の、人が長細くなって
ウヨウヨしている変なシーンが

理解できなかったんですね。


わかります?

ブッダが覚醒してから

無意識界に降りて

いろんな人を 助けに行く系のシーンです。











今、手元にブッダがないので
確認できませんが、

もしかしたら 今読んだら
高校生のときはわかんなかったとこも

少しは理解できるかも!






たこ焼きに話を戻すと。


黒板に書いてある図が
たこ焼きの鉄板に見えたことから
始まったインスピレーションが、


実は、
魂を宿す肉体のイメージをつかむのに
使えるんじゃないかと思って。







ほら!



つまりね、
私たち一人一人は

自分のことを
一個ずつのたこ焼きと思っているけど、

それは焼かれたから

表面が皮になって境目になっただけで





実際は、

同じボールでまぜまぜされた

タネからできているんですよ。

つまりね、

「私」などというたこ焼きは
もともとはないんですよ。

肉体の材料である、
小麦粉とか、水とか、天かすとか
刻み生姜は、


特定のたこ焼きの材料として
個々に与えられたものではなく、


適当にボールに大量に入れられていて
どのたこ焼き穴に入るのかも
作っている人は
気にしてないわけです。




だから
「隣のたこ焼きの方が
これこれの才能がある」

っていっても、
神様はあんましそんなことは
気にしていない可能性が高いですね。





私がたこ焼きを作る立場なら、
文句を言っているたこ焼きを憐れんで
箸で紅生姜の切れ端を3本増やすよりも

「じゃ、次からもっとちゃんと混ぜよ。」
って思いますね。

ぶっちゃけ、
最終的に
自分の腹に入れば
そんなん関係ないとすら
思っているのではないでしょうか。










たこ焼き作るときって、

鉄板の穴に流れ込んだぶんのタネは
その穴のたこ焼きになりますけど、

穴と穴の間の通路っぽいところに
溢れているタネは
焼きながらたこ焼きのもう半分に
なるじゃないですか?
そのとき、
どこのタネがどのたこ焼きに
合体するかって、
結構、適当っていうか
ランダムですよね。

私、
作ってるところまじまじと見たとき、
不思議な気分になりましたね。

大阪出身の先輩のうちでたこパしたとき、
その先輩よりも
全然たこ焼き関係ない地域出身の
先輩の方が上手くて。
まあ、そのことはなんも関係ないんですけど。


そのとき、
こんなことを思ったんですよ。





諸法無我





全てのたこ焼きは、
もともとは、
同じ材料から作られ

材料の何が、
どのたこ焼きになるのかは
わからない。

つまり、
1つのたこ焼きという姿は
たこ焼きの本質ではなく、
かりそめの姿なんですよ…


私も、

「私!」は、「私!」は、
こうしたいの、こう思うのって

感じるけど。



そもそも私などというものは
本質的には存在しないのです。


私の手で触れる
顔やお尻や足は、

別の人や別の命の、
もしくは無機物の
材料であったかもしれないし。

私が死んで焼かれたら
間違いなく別物になるわけです。

死ななくても、
汗として蒸発したり、
爪切りを経由してゴミ箱に捨てられたり、
トイレで流されたりして


私の身体だと思っていたものの材料が
外界に向かって離れてゆく。


そもそも、
もともとは母親の身体の一部だったのです。
そこに食べ物の一部がこつこつと足された
ただの塊があるだけです。






つまり、私はいないのですよ。

たこ焼きがないように。











では、そのたこ焼きですが、


肉体は本質的には
1つずつ存在できないのですが、


私は最近魂という概念を
手に入れたんですね。


見てください。


ただの
タネの塊に、
タコの切り身が入れられている…


これぞ、
まさに 魂!



本来存在し得ない
「1つのたこ焼き」
に、
命が吹き込まれるのです。




小さい頃、
観光地で閉館間際に買ったたこ焼きに
タコでなくて
キャベツの芯が
入っていました。

あれは、まずいです。












私たちの肉体であるタネは、
自然界を巡りながら
本質的に「私」はないという条件のもと
宇宙を廻り続けるのかもしれませんね。


そして、
タコは🐙

タコは、イメージとしては…


使い回されるんですかね〜。




たこ焼きとして
使命をまっとうできたら
魂も違うことになるんでしょうかね。


でも、
輪廻しているうちは
使い回してるってことですかね。



ちょっとその辺りの哲学は
たこ焼きだけでは説明がつきませんね。




まあ、私が食べるわけじゃないから
いいんですけどね。








難解になってきました。



たこ焼きの鉄板は、
私たち人類のいる世界かもしれませんね…


直接鉄板を通して加わる加熱エネルギーは、
ドロドロのタネをまとめて物質を形作る
低周波の物質エネルギーかもしれませんね…


鉄板を通り抜けて上に上昇していく熱は
目に見えない、
高周波の霊的エネルギーかもしれませんね…


しかし、その霊的エネルギーの源と
物質を作るエネルギーの源は
同じものなのかもしれませんね…


そして、
比較的見える人が多い「オーラ」は、
湯気かもしれませんね…
たこ焼きの中を巡っている熱が
「気」かもしれませんね…

熱が足りないと
生焼けになったり、
するかもしれませんね…
でもたこ焼きは中がふわふわの方が
いいんですけどね…


タネ(肉体)が滅んでも
上昇するはずの熱を受け取り続けると
成仏しないコゲになるのかもしれませんね…
それが幽霊かもしれませんね…




でも、
肉体と霊体はなんとなくイメージできたけど、

幽体ってのが
たこ焼きでいうところのなんなのか
よくわからないですね。





ちなみに、

聞いたところによると、

物質界以外のところに魂が行くと、

肉体がないぶん、
魂は環境の影響をもろ受けするそうです。



つまり、
タネに包まれないで、

タコが直接焼かれる場所があって
(あるとしたら、
鉄板の下にありそうですよね。)

そこが地獄だったり
修羅道だったり、餓鬼道だったり
するのかもしれませんね…

そこではタコは
直接火にかけられるということですかね。
それとも、
平たい鉄板の上で、焼くのですかね。

どっちにしても粉もんよりも
たこ焼きと呼ぶのにふさわしい食べ物に
なりそうですね。




以前、
広島の患者会に出たときの帰りに
大阪に寄ったので
粉もんのいか焼きを見つけて
珍しかったんで食べました。

姿焼きもいいけど、
粉もんもいいですね。

たこ焼きも、
同じでしょうね。
どっちもいいでしょうね。









タネはもともとドロドロのひとつのものと
しつこく言ってますが、

よく考えたら
タコも
切り身になる前は
1つか、あるいは複数のタコなんですよね。



もしかしたら、
私とあなたと誰かの魂も
ひとつにつながっていたのかも
しれませんね…

つながっているというか、
最初からひとつだったのかもしれませんね…










今日の旦那

珍しい!
人生に疲れたとかで八つ当たりしていました。
でも、たまにはいいですね!
「ZENちゃんが仕事してた頃は
3日に1度はこんな感じだったんだよ。」って
こぼしながら、私のギターをちょこっとだけ乱暴に置いたり
お米があるのに玄米を大量に炊いて、炊き上がるまでおかずも食べないとか、プチ我儘を言っていました。
でも、すぐにいつもの優しいダーリンに戻りました。