胡蝶のオラクル

スピリチュアルなめかけ、霊感高まりかけ、占い好きの素人が、現在進行形で直感とヒラメキの使用例を報告します。

自分の強みを探す旅 文章編

作文はたいしたことなく、
読書でも絵でも敵わない 多才な友人に
作文でも変わらず負けていると感じていた。

作文が地区の文集に載ることが決まっても、
友人に「去年私も載った」と言われて
読書のときと変わらない反応。
変わらない、低いままの自尊心。


ところが
引っ越してから、その友人に向けて
手紙を書く生活が始まった。

小学生ながら便箋8枚とか10枚とか15枚とか。
延々気がすむまで書いていた。
大人になった今では
漢字にしろ、文法にしろ
めちゃくちゃだったんだろうと思うけど。
あの頃は
あんまし気にせず 書きまくっていた。

友人の書く手紙の方が
読む人を思いやった
優しく丁寧な文章なんだけど。
私は そういうのを気にする人じゃ
なかったというか。


つまり、
作文の内容は駄目駄目だけど、
長ったらしく書くことだけは 昔からできた。
それは確かだ。



でも、
「長く書ける」と「上手く書ける」は別物。

いとこは学校で
体操、柔道、作文の3つの分野の賞を
毎回総ナメにする人物だった。
賞状を渡す時に校長先生に
「これも君か。」とつぶやかれる人だった。
田舎の学校だからだろうと嫉妬したところで、
全国対象の新聞社の賞まで受賞するんだから
しょうがない。才能があったんだろう。
そして彼の作品は、実際にいいのだ。

ずっと年下のいとこだし、
自分と比べるつもりなんてなかったけど。

なんとなく
「秀才っているんだよな…。」
と。

そして自分は該当しない。
虚しいけど、仕方ない。

父のような絵の天才でもないし。
友人ほどの読書家でもない。
作文もいとこほどではない。

自分は平凡なのに、
変人の要素だけ周りから指摘される…
自信なんて、どこにもない。


ところが。
大学に入ると、

ある種の自信に限って言えば、
自分も持っていることに気がついた。

私は
作文を添削されるのが大っ嫌いだったのだ。
添削されるくらいなら
処分したい。
自分が書いた文章に
絶対に人の手を加えたくない。

レポートであれ、
レジュメであれ、
試験の記述式の回答欄であれ、
アンケート用紙であれ、
卒論であれ、
修論であれ、

とにかく私には、ひたすら大量の文字数と
絶対に修正しない頑固さだけが、あった。

そういえば、
小学生のときに母親に日記の接続詞を「しかし」から「だから」に変えろと言われたときの不快感など
20年経つ今でもムカムカするくらいに思い出せる。
(文法上、どっちも入り得るのだ)

私にとって、
自分が創り上げた文章は
自分の財産。
誰にも改ざんされたくない。
自分の一部だったのだろう。



学部と大学院では
「文字数がたくさんある」
「何枚もある」
だけが教授の目に留まり、

ノート一冊を中身何でもいいから埋めてこい、
という課題を出された。
そんなもん1日でできたが、
教授に会えたのが2日後だったために
「2日でノートを埋められること自体が、
君の才能なんだよ。」

とかなんとか言われたが
本当はもっと早くにできていたし、
何より
中身何でもいいって言うから
読んでもらえることを期待して
入学前に火災現場からお婆さんを助け出して
人命救助賞をもらったときの
一世一代の武勇伝を書いたのに、

最初と最後のページまで
パラパラされただけで返されたもんだから。
褒められて嬉しいどころか
「やっぱし、誰も読んでなんかくれないんだ」
とすねた。

なぜか教授はしょこたんさんのファンだったので、
ブログを更新する才能を募集中だったようだ。
私はすねてしまったので、
やってみたらと勧められても
ブログを始めなかった。

修論を書いている間も、
「章立てしろとかきいてねーよ」
「なんで私が書くものなのに
他の論文の形式と似せなきゃなんねーんだよ」
と、普通の人が気にしないようなことに
いちいち制約のような息苦しさを感じて

「研究者向いてるつもりだったけど
論文書くのかったるいわ。」
「同じ文字数書くなら小説の方がいいわ。」

という結論を出した。
研究者にはならず、
普通に公務員になった。



学生時代と違い、
就職すると、文章を書くのは
一定ペースで、少しだけ。
一気に何百枚も書くことはない。
書くとしたら
成績をつけるときとか。

文章を添削されるのが大嫌いだが、
さすがに仕事で使う文章は
赤が入るのは当たり前と心得ている。
だから、
ある種の感覚を切断している。



一方で、
家に帰ってゆっくりする時間のために
ユーキャンの童話講座っていうのを
趣味でとってみた。
これが結構楽しくて、
向こうも半分客商売だから
添削先生も褒めてくれるし。

小さいお話が出来上がり、
ユーキャンは卒業出来なかったものの
最後の課題で仕上がったお話に
絵をつけて後に出版できた。




絵本が出版できると
次は小説が書きたいと考えて
原稿用紙30枚までの短編文学賞を探して
去年応募した。
論文以外で30枚なんて
書いたことなかったので
短いのから始めようとしたのだけれど、
やってみたら
70枚以上の分量を
半分以下に詰めることになって、
誤算だった。

残念だけど
一次選考でボツになった。
うーむ、と思ったけど、
最初から優れたものが書けるわけがないと
村上春樹さんも言っているし、
あまり気を落とさずに
別のものを書けばいい。
村上春樹さんが受賞したのは
最初の応募のときであって、
最初に書いたものが
受賞しているわけではないらしいから。

あと、
あの頃の私が書きたかったものは、
辛気臭かった。
読んでいる人が楽しくない。
自分も書いていて苦しい。

どちらかと言うと、
芸術作品というよりも
主人公を使った
間接的なデトックスというか。
自分はあれを書いたことで
すごく成長できたから、
そういう意味では
良かったんだけど。

でも
私が世に送り出せる物語は
本当にこんなもんなのか?

いや、違う。
もっと希望あるストーリーが
自分から湧き上がる日が来るはずだ。



だから、選考の段階で落ちていて当然。
今、なんとも思っていない。

でも、また書きたいなあとは思う。
今は馬が出てくる話を
気分良く書こうとしている。


あまり、
いい小説を生み出すとか
作家の資格とか考え出すと
また自分なんて、つまんない人間だ〜
ってなるから。

ちょっと頭を冷やしつつ、
でも、ちょっと残念だったなあって思いつつ…

文学賞の傾向と対策のためではない、
自分が読みたい本を読んでみることにした。


これが、
去年の年末に出会った
新渡戸稲造『修養』だった。


なんか偉い人らしいから
読んでみた。

そしたら これが、
とても いい本だった。