胡蝶のオラクル

直感を使ったことを記録します。予感することから、確信することまで。

それは、くちで言っていいんだよ

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 (少し疲れた。休みませんか。)

 

初めての睡眠科外来は、落ち着かない気分でした。

電車で代々木まで行きました。

まず、母親が同行しました。

 

母親は自分のせいで娘がこんなふうになったとか意味不明なことで

待ち合いの廊下で泣き言を言い出し、よく分からなかった。

 

診察は、パソコンのカルテに四苦八苦するおじいちゃん医者と、

クリックする場所をいちいち指し示す若い見習いっぽい医者でした。

 

私はナルコレプシーと思った理由である

ペンが持てないこと、眠いことを訴えました。

 

授業をほとんど寝ていることは、

母親の前では言えませんでした。

 

母親だけが診察室に呼び出され、後から聞きましたが

全く問題ないと医者に言っていたそうです。

自分はただ、一緒についてきただけだと。

 

次は私の番だと思っていたのに、私だけが呼ばれることはなかった。

母親の前では寝ている実態が言えないのに、

どうして母親を退席させて私から主訴を聞いてくれないのだろう。

 

納得がいかなかったが、検査すれば全てが分かるんだからと、

辛抱した。

当時の医者が言うには、私はナルコレプシーの典型例ではない。

まず、寝起きがスッキリしない。

カタプレキシーが、突然ではなく徐々に起きる。

一日中眠い。

 

さらに、私の訴え方が下手だったのですが、

「悪夢のせいで寝られないことはありますか」という質問に

「悪夢は見ますが困っていません」と答えた。

当時の私は現実世界で苦しみ過ぎていたので、

悪夢だろうがなんだろうが寝ている時間は幸せだったのだ。

それが幽霊に追いかけられている夢だろうが、

廃墟の中をさまよう夢だろうが、

現実よりずっとずっとマシだったのだ。

夢の中だけが、眠気による身体的苦痛から逃れられる唯一の時間帯だったのです。

だから、レム睡眠関連症状についても、

充分医者に伝わらなかった。

母親の前だから、幻覚が見えることも話せなかった。

 

眠気とレム睡眠関連症状が強すぎて、

睡眠科の医者にも状態が伝わらなかったのです。

会話が成立しないのです。

主訴が分かってもらえないのです。

 

 

私は特発性過眠症という病気は当時知らず、

ナルコレプシーばかり疑っていた。

カタプレキシーや、睡眠麻痺が明らかだったので。

でも、寝起きにスッキリするというナルコレプシーの利点は全く経験していない。

寝ても眠いし、寝なくても眠い。

永遠に、眠い。

眠くない瞬間はないし、

眠っているか、起きていて眠いかのどちらかしかない。

それが私。

 

夜間睡眠ポリグラフ検査のためにベットのある部屋に入りました。

母親が帰る前に、怪訝そうな声とともにカメラを指差しました。

 

私は、カメラがあること自体は不満なわけではなかったのですが、

(検査のためにあるんだってことは分かっているのだから。)

カメラについてなんの説明も受けてないし、

寝る前の着替えなどもその部屋でやるのでなんだか嫌だと思って

検査技師か看護師だかに

「あれは?」と尋ねてみたのですが、

「あれ?あれはカメラです。」と。

「…カメラというと?」

「…べつに。全然気にしなくていいですよ。」

と言って、返事も待たずにドアが閉められて、

とても感じが悪いと思いました。

10年前の話です。

今は、対応良くなっているのではないでしょうか。

あれから行ってないから知らないけど。

 

 

消灯され、カメラの赤い光を見ながら、

「稼働していやがる」と思いました。

 

寝る時間は10時くらいと希望を言っていたのですが、

持ち込んだ教科書を見ているうちに眠くなり、

電話で起こされました。

眠い脳波が出ているから、検査開始しろと。

でも、無理するクセがついているから寝たくない。

いつも、眠くても眠くてもそれでも寝ないということを

身体が習慣にしている。

一回は断ったけど、また眠くなって起こされて、就寝することにした。

 

ほとんど経験できない、家以外の安全な場所での就寝。

母親に気兼ねなく、眠っても許される状況で眠れる夜。

幸せだった。

実家を出た今では当たり前になった幸せも、

当時の私にとっては、検査入院という特別な時にしか

経験できないことでした。

 

ぐっすり眠れたし、検査は正しく異常なしとなった。

 

 

後日、これまた母親の付き添いとともに検査結果を聞きに行った。

夜間睡眠は異常なし。では、昼間の眠気はどうなのか。

昼間の反復睡眠潜時試験は 予約がいっぱいで2ヶ月待ち。

受験にはとても間に合いません。

では、血液検査で遺伝子型を見てみてはどうかということになりました。

 

今ではナルコレプシー

1型と2型があるとされ、

ナルコレプシーの人が持っているとされる遺伝子型を持っている典型タイプと、

遺伝子型は違うけれど症状が出ている2型に分かれているのです。

 

実は、私がクリニックにかかりだした当時は

この遺伝子型が発見されつつあるときで、

ナルコレプシーが遺伝子型で診断できると期待されている際中でした。

意地悪な見方をさせてもらいますが、

病院はナルコレプシー患者の遺伝子型のサンプルを

より多く欲しがっている時期だったことでしょう。

 

ところが、この遺伝子型検査をすることを母親が拒否したのです!

帰り道になぜ検査をしてはいけないのか聞きました。

私の遺伝子型の情報を渡すと、おじいちゃんやおばあちゃんまで、

直系の親戚中の遺伝子が明るみになってしまうというのです。

そんなことは母親の私の一存では決められないということでした。

 

そういう不安を持っているのだったら、

遺伝子を検査するということがどういうことなのか

医者に説明を求めれば良かったのではないか…

 

そして、一存で決められないとまで言うのであれば、

娘の治療のためにこういう検査をしてもいいですかと、

親戚に聞いたっていいじゃないか。

誰も、やるななんて言わないはずだ。

しかし、それはしない。

 

だいたい、そんなたいそうな検査じゃないし。

どうも、遺伝病にかかっている人物がいると

親戚まで社会的な差別の対象になると思い込んでいるようでした。

そしてその思い込みの方が、実の娘の私よりも大切だったのです。

 

必要な検査を許してくれないということは、

私の母親不信にさらなる拍車をかけました。

 

母親に検査を断られた医者は、

露骨に態度を変えました。

私は帰ってから、

「私を診察しても遺伝子型のサンプルが手に入らないと知ったからだな」と考えました。

 

主訴は最初から最後までろくに聞かないし、

こちらが訴えることの  あげあしをとるばかり。

 

「最初は眠さを和らげるためには生活習慣を改めなくてはと思い、

なるべく夜間は寝るようにしていたのですが、

もう、起きていられる時間帯が少なすぎて、

最低限の勉強も必要なこともできないので、

例えば夜中や明け方5時に目が覚めたときであまり眠くないときは、

寝ないようになりました。」と話しました。

 

すると、

「明け方5時に起きて勉強するために薬を飲むなんてダメだ。」

とかなんとか怒り出して、薬の処方を止められました。

話の一部しか聞いてないんですよね。

後ろに若い医者もいたんですが、

あの人たちは診察に口をはさめないんですかねえ。

 

で、どうするのかと こっちが医者に聞かれて、

昼間の検査は明らかに医者が面倒くさそう。

薬は出してくれない。

遺伝子型の検査は母親が拒否。

 

ふてくされた表情の医者に

「じゃあ、しばらく様子を見ます。」

としぶしぶ答えたところ、

その医者は「様子を見ますか。ああ、そうですか。ははは。」と言いながら

高笑いをしたのです。

 

2度と来るものかと誓いました。

 

 

睡眠科外来を受診するということは、

私にとっては賭けでした。

 

検査で病気と分かれば治療ができるけれど、

検査を受けたいと母親に切り出したことによって

家では恐ろしく窮屈な目にあったのです。

 

そしてその賭けは、負けでした。

 

協力してくれた学校の先生には、

医者の悪口くらいの土産話しかできず。

 

今では自分は決して悪くないと分かるのですが、

当時は

面目無い、不甲斐ない、 情けない。

自分は一体なんなんだろう。

やっぱし、眠いのは自分が悪いんだ。

幻覚が見えるのは、自分が異常だからだ。

近い将来、私は自分で自分をコントロールできなくなって、

たくさんの親切な人を傷つけて迷惑をかけて惨めに死ぬんだ。

 

 

…疲れちゃった。

だから、休みたかったんだと思う。

でも、休みたいとか、疲れたとか、誰にも言えなかった。

寝ている分、起きている時間に全力で

起きて、行動しないといけないと思っていた。

だから絵を描いたんだと思う。

 

冒頭の絵では、

両腕を枕にして机に伏せて寝ようとしている人が

描いてありますが、

同じ体勢で寝るとき私は、

よくその腕の皮下で育ったカブトムシの幼虫みたいな大きな虫が

皮を食い破ってわき出てくる幻覚を見ていました。

そして、前の記事に書いたように、

頭を起こせないのでその虫を顔の下に挟んで寝ていました。

 

 

ずっと、疲れていたのです。