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眠すぎる! 特発性過眠症 眠すぎる!

2017年からは過眠症は関係なく旦那の行動観察と自分の気分を書きます。特発性過眠症の方は、記事の内容に関係なくコメント下さい。お友だちになりましょう。

ただ病んでいるだけではない

過眠症

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大学の精神分析学の授業で

統合失調症うつ病に代表される

心の病気で治療中の人が描いた絵を

一度に何枚も見たことがあります。

 

当時の私は何も感じなかったけれど、

人によっては

吐き気や頭痛、悪寒などの身体的な感覚が

わき上がる人もいるらしい。

 

絵って、不思議だなあ。

 

上の絵は、自分が高校生のときに描いた絵ですが

教育職につく前と後で

印象が全く変わりました。

 

描いたのは高校時代。

数年後、大学時代に見返すと、ハートがメタメタに攻撃されているのが

いたたまれなくて、

どんなに辛かったんだろうと

昔の自分が可哀想になって、涙が出る。

フラッシュバックがまた起きる。

 

でも、やはり人は経験によって前進する。

 

 

 

未熟とはいえ大人になって、教育職について

子どもたちが描いた絵を何枚も見ました。

本当に素晴らしい絵で溢れていて。

 

一回図工の授業が終わると

教室が宝の山になります。

アート関係の人が見たら目が釘づけになるでしょうに。学校は簡単に開放出来なくて困ります。

 

子どもたちの絵を見ると、

 その良さを感じとる力が鍛えられる。

良質な絵に触れると、目が肥える。

絵の本当の価値が、どこにあるのかが分かる。

 

絵を、理屈ではなく、感性で鑑賞することができるようになる。

 

冒頭の絵で言えば、

大学時代の私はこの絵を、

「ハートが釘打たれて血を流しているなんて、被害感情が出ている絵だ。」

「鎖で羽根が押さえつけられている。窮屈な気持ちの表現だ。」

とかいう、理屈理屈で。

何が書いてあって、それが何のメタファーなのか逆算する鑑賞方法しかできなかった。

今はそれがくだらないことだと分かる。

その方法では、子どもの絵の素晴らしさは永遠に分からない。

 

 

今の私がこの絵を見ると、とても勇気付けられる。

高校時代の私は捨てたもんじゃなかったんだな、

だから病気に負けずにここまで来られたんだな、と。

 

ふっくらして綺麗な形のハート。

自分がハートの輪郭をまず初めに描いたのも憶えている。

精神分析を絵でするときは、描く順番も大切に見ます。)

色ムラも無い。丁寧に塗っている。

位置は紙面の中央。

自分の気持ちを、大切に肯定的に捉えているのがよく分かります。

羽根が、大きく開いている。

 

流れる血の量は多く、

でもハートの中にはまだまだ豊潤に血がめぐっていそうです。

色も、濃いです。

一番太い杭が血を吸い上げて、半分くらい色が変わっています。

何くそというハート側の反抗心を感じませんか。

生命力、エネルギーに満ちている。

 

羽根は抑えられていますが、杭をくっつけたまま

力ずくで羽ばたきそうです。

 

濃く書き添えられたワードは

still(まだ)beating(脈打っている)

 

和製英語?文法は変ですが、

まだ私は死んでたまるかという気概が伝わってきます。

 

自分の絵を自分で褒めるのは変ですが、

これを描いた当時の私を、私は褒めたいです。

もし会えたら、とても信頼していると伝えたい。

 

それというのも、

この時期は手が動かなくなってペンが持てず、

進学校に通う受験生なのに勉強ができなかった焦りもあり、

 

親にはナルコレプシーかどうか検査がしたいと言い出せる状況ではなく、

(母親の精神状態が最もひどいときでした。)

 学校で錯乱して保健室に連れて行ってもらい、

睡眠外来の検査の予約を学校にしてもらったはいいものの、

これが母親の逆鱗に触れて家での居場所がなくなり、

 

かなり重度のストレス状態が継続していました。

(病気自体は発症してから4,5年経ってるんですよ。)

 

いつ死んでもおかしくなかった。

あのとき耐えてくれた自分がいるから、

今の生活も命もある。

こうやってブログも書ける。

スマホもいじれる。

寝っ転がって居眠りできるし、

一人晩酌もできる。

サイコー

 

 

ただし、健康を保てる限界を迎えます。

不幸なことでしたが、

学校帰りに、同じ男から複数回にわたって

痴漢、露出行為の被害に会い、

そのことにまつわって母親とも悶着がありました。

母とは、その件さえなければ、今では仲良くできたのではないかとも思います。

タラレバの話ですが。

 

2回目の被害のあとは母親に黙って自分で通報したのですが、

警察の対応はすこぶる悪く、ちょいと、酷いものがありました。

炎天下の中、待ち合わせに1時間45分も遅刻してなにも言わず、(なので私はその間2回も警察署に電話しました。着いていなくちゃおかしい、まだ待ってろと言われただけ)

覆面パトカー?(公用車かどうかも怪しい)に私服姿なのに警察手帳も見せないで車に乗り込ませました。私服も、男はホットパンツ、女は胸にスリットが入ったミニスカワンピースでした。

今は私も公安職を経験したので、それがまともな警官が仕事する服装ではないことを知っているので、警察署を出た後に真っ直ぐにこちらに向かわず着替えたのだと分かるのですが、当時は警官が本当にあの格好で仕事をすることがあるのかと勘違いしました。

 「どうせ捕まらないよ」とはばかりもせず口にするし、
写真も被害にあった場所とは違う場所で
「適当に撮ってくる」とか「いいからそこに立って」という。

被害届けは、どうせ捕まんないから書いても無駄だと。


被害内容を聞かせろというから話せば、
ニヤニヤしながら
「何を見せられたの?」

絶句すれば、相手も黙って答えるのを待つ。

 

本当に私が馬鹿だったというか、

……認めたくないけど。馬鹿だったんですよね。

警察の人なのだから聞かれたことには答えないといけないと思ったんです。

だから、「男の人の、大切なところ。」とかなんとか小さい声で答えました。

他になんて言えばいいかわからなかった。

そして、満足そうな男性警察官の薄ら笑いが瞼に焼き付いて

それから10年、私は自分が警察に騙されたということを受け入れられずに

苦しむことになったんです。

 

うすらぼんやり、あの警察は私を騙してセクハラしたんだなと気がつくのに

そんなに長い時間はかからなかったけれど、

完全に認めて乗り越えるには、長い長い年月が必要でした。

 

大学の授業や子どもの交通安全指導やらで

警察とタイアップするようなイベントや仕事に

参加しないといけないとなると、

頭がグラグラして怒りと悔しさがこみ上げてきました。

そういう授業を組む大学教員のことまで一緒くたに嫌いになりました。

 カウンセリングをうけても、

心が晴れることはありませんでした。

そういったことの全てが、私にとっての働く辛さ、

大学に通う辛さでした。

 

過眠症、両親との不和による家庭での居場所のなさ、

警察不信、単に痴漢が怖い

 

などのストレス要因があい絡まって、

高校の夏から激しく幻覚に悩まされるようになりました。

 

痴漢自体はそんなに怖くはなかったけれど、

登下校時間は私が 1日の中で唯一自分のペースでゆっくりくつろげる時間でしたから、

そこの安全を脅かされたことはとても辛いことでした。

 学校では眠気と戦い憔悴しきり、

家では母親が錯乱しており、

駅から家に向かって歩いている時間は、

永遠にこの時間が続けばいいと思っていました。

道がどんどん伸びて、家まで帰れなくなればいいと。

でも、そんなことは起きず、

玄関のドアノブを握っては数歩引き返し、握っては数歩引き返し、

そして、

「今日も絶対、自殺はするまい!」と

自分に言い聞かせて家に帰っていました。

よく頑張ったなあ〜と思います。

 

学校に向かうときは

駅のホームから飛び降りたい衝動をやり過ごすため、

ホームの中央をウロウロ歩き、

並ぶこともしませんでした。

あの頃は、

一日生き長らえたところで、一日中寝ているだけなのに

なんの意味があるのかと思っていました。

一日をもっと有意義に、「起きて」過ごさなければ

生きる価値は自分にないと思っていました。

 

でも、そんなことはない。

死ななかっただけで充分です。

 

本当に、死ななかっただけで充分。

 

あれを耐えてさえくれれば、

残りの楽しいこと、

自分の使命(それがなんなのか探すのも含めて)、

ちまちました辛いこと、

 

全部残りは今からの私が引き受けられる。

高校生のときは、受験で人生決まると教え込まれてきましたが、それは嘘です。

 

高校生なんて、

人生の最初、最初。

やろうとしたこと全部なんてできなくていい。

 

そして、警察にセクハラされたら、まだ高校生なんだから、騙されても当然。

私が悪かったんじゃない。

あの警官が今頃地獄に落ちているだけ。

自分にはもう関係のないこと。

 

痴漢の犯人は、300件!ほど余罪がある状況で

4年後、自らが加害した勇敢な女子高生によって逮捕されました。それを知った私は、憎い警察が捕まえたんじゃないからスッキリ。

イェーイと思いました。たまたまテレビで顔を見て、逮捕されたことを知りました。ヤフーニュースで名前も年齢もわかり、大学の卒業と同時にこの犯人に対しての思いは決着が着いた気持ちでした。

ホント、安心です。

(もう社会に出てるだろうけど。)

ただし、事件から4年が経過していたため、

被害届を出すことはできませんでした。

 

 

そう感じられる今が来たのは、

家の外が怖くても、当時の私が出かけたから。

学校に行ったから。

勉強したから。

受験して大学に行ったから。

大学でも、カウンセリングをうけたり、

相談相手を探したから。

部活をしたり、勉強したりしたから。

馬に乗ったから。

思い切って、就職したから。

働いたから。

そこで誠実な警察官と協力したから。

病院に行ったから。

子どもたちから教わろうとしたから。

凄惨な家庭環境を生き抜いて来た生徒たちに会ったから。

辛くてもまだ教師を辞めてないから。

睡眠障害を知ろうとしている教師に会ったから。

ギターやブログをやったから。

 

そのときは、

なんの意味があるのか分からなかった。

でも、どれ一つとっても無駄なことはない。

今だからわかる。

私は、ただ病んでいるだけではない。