胡蝶のオラクル

直感を使ったことを記録します。予感することから、確信することまで。

コーヒーで絵を描き始めた女子高校生

f:id:fa-fa-together:20160902211505j:plain 

最初の一枚目に書いたのは
大好きなアンパンマンの作者である
やなせたかしさんの童話集から
心に残った夜霧の騎士という物語の世界をイメージして書いた、
馬に乗っている騎士と三日月の絵でした。

 

なんとなく、高校生だから?か

英語の詩を三日月の上に書きました。

 

このとき、

コーヒーが重ね塗りしても綺麗な画材だと

よくわかりました。

 

絵を描いたことは、

私の気持ちをとても軽くしました。

熱中してしまう。

 

これをどこで乾かし、どこにしまうかは大問題でした。

お母さんにバレると叱られると思っていたから。

 

お母さんは私の成績に満足していなかったし、

机に突っ伏して寝ている私には

我慢がならないようでした。

なけなしの起きている時間に

絵を描いているのがバレたら、

親戚中に

あの子は不良で

親の言うことを全くきかない子だと

触れ回るだろうと思っていました。

 

結局、机の後ろのカラーボックスの上に

たくさん物が置いてあり、

それに紛れるような感じで隠すでもなく

目立たないように置いておきました。

 

翌日、お母さんはすぐそれに気がついたので、

正直なところ、ぞっとしました。

 

叱られるのは心配しすぎで、

上手いからびっくりしたよと褒められました。

こういうことが仕事になったら

あなたに向いているんじゃないかと、

耳を疑うようなことを言われました。

 現在、それを嬉しいことなんだと

考え直そうとしている際中です。

 

でも、そのときの私には

お母さんに褒められて喜ぶような純粋な気持ちは

残っていませんでした。

ただただ、

自分が学校に行っている間に

こんな細かいところまで見ているのかという

恐怖しか感じませんでした。

 

小学生のとき、

お母さんに

選択式の夏休みの宿題の、

図工ポスターの下絵を見せたことがあります。

 

それがたまたま原子力発電の

平和利用啓発ポスターで。

小学生の私には知ったこっちゃないことですけど

原発反対派の母親の逆鱗に触れたのでした。

我が娘がこんなものを描くなんて信じられないと、

長い長い説教をくらったことがありました。

一応、私は小学生とはいえ科学クラブの所属でした。

それに一時期、広島に住んでいて、原子爆弾の知識として

原子力核分裂については

母親とかわらない程度の勉強はしてあったと思います。

いえ、お母さんはあまり勉強ができる人ではないので、

小学生の私の方がよく色々調べていたと思います。

福島の原発事故まで予知できたわけではありませんが。

 

原子力の行く末を案じていた

アインシュタインキュリー夫人

安心して見守ってくれるような社会にと願って

彼ら科学者らが笑顔で雲の上から

発電所を備えた地上を見下ろす構図で

ポスターの下絵を描きました。

 

ペン入れと色つけがまだ残っていましたが、

あの頃は早く母親に見せて

褒めてもらいたかったのだと思います。

 

「こんなふうに、

    試験管の中で幸せが作れるとでも

    思っているのか」と

まるでマッドサイエンティスト

悪魔の子どもとでも 思われているかのような

悲惨な目に会うとは思ってもいませんでした。

 

何時間泣いたか覚えていませんが、

結局そのポスターの応募用紙を捨てきれず、

(夏休みの宿題の提出は他のやつを1からやり直した)

机の奥にしまいこんでは

整理整頓の度に繰り返し泣いて、

母親憎しの心を育てていました。

 

ほんとに、何の飯の種にもならないことをやっていました。

 

高校生のときから文章を書くのが大好きだった私は

日記に色々な気持ちを書いて

辛いときでも気分を保っていましたが、

 

お母さんは

私がいない昼間に机の引き出しを開けて

「開けたらそこにあったから読んだだけよ。」

と言って日記の内容について延々と説教をしたこともありました。

 

帰宅していきなりそこに座れと言われたときは、

何のことだか さっぱり分かりませんでした。

 

お母さんがどんなに嫌われても構わないし、

どんなに娘からの信用を失ってもいいという枕詞で始まった説教は、

私は全く悪くなく、

こんなこと親である私は知らなかったと、

ただ母親の気が済まないというだけのために

行われたのでした。

 

そんなわけで、

文章を書くことも封印したのです。

もう、ほとほと

懲りたから。

 

文章表現で言えば、

中学生のときに、

良かったからと授業中先生に読みあげてもらった詩を

家に持ち帰った日、

たまたま

機嫌が悪いお母さんが寄ってきたときに

鞄から引きずり出されて

いちゃもんをつけられたことがありました。

 

春の詩がテーマだったから、

そのときに流行った

花や蝶の刺繍入りのジーンズがモチーフでした。

 

お母さんが言うには

春なのに自然の中から素材を見つけないで

人工物とかジーンズとかから

ネタを引っ張りだしてくるお前は

素直な子ではないという

主旨でした。

 

原子力発電のポスターと違って

先生に褒めてもらった後なので、

母親の言うことは聞き流してしまいました。

 

今気づいたのですが、

私の母親は自然主義者だったんですかね。

 

私は

算数の計算こそできませんでしたが、

(大学生のときLDと診断される)

女の子にしてはメカ好きで、

結構、理系頭だったのだと思います。

数学でも計算のいらない発展問題なら

すぐにひらめきで解いてしまいました。

教科に関わらず、

勉強自体は大好きでした。

 

それを母が快く思っていないことは

それなりに理解していました。

母は、勉強は試験と受験のためにやるものとしか

思っていない人だったので、

私が好き好んで勉強するのが

薄気味悪くて理解できなかったんだと思います。

 

f:id:fa-fa-together:20160902211748j:plain 

 

詮索ぐせのおさまらない母で、

父も後にはついに根をあげるのですが、

当時の父は単身赴任で家におらず、

母親がどういう人物が分かっていない人でした。

 

18歳にもなって親とうまく付き合えないのは

お前がだらしないか未熟だからだと言って、

私の話は聞く耳も持たず

母親が言うことを全て鵜呑みにする人でした。

成績なんか 母の言う 全くの嘘っぱちを

そのまま信じていたし、

高校2年のときに高校受験の話をされたくらいでした。つまり、学年を2つも勘違いしていたうえ、

高校入学したこと自体忘れたか、知らなかった。

 

仕方がないので、

日記も絵も隠れてかくしかない私は

コーヒーカップと、

すぐに引き出しや壁側に寄せて死角におさめられるハガキ用紙、

小さい水彩色鉛筆用のミニ絵筆を使って

 

表現はもっぱら絵で行い、

 詩は母親がわからないように英語にしました。