胡蝶のオラクル

スピリチュアルなめかけ、霊感高まりかけ、占い好きの素人が、現在進行形で直感とヒラメキの使用例を報告します。

最近、仕事について思っていること

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ちょっと前に、研修会に出てきた。 

職場強制じゃあないヤツ。

すっごい楽しかった。胃腸炎だけど、飲み会まで行った。

そのときのビルから撮った神奈川の街の写真です。

こないだ壁紙アプリを入れて、

2時間かけて何百枚も画像を吟味したのに、

結局この写真が1番ホーム画面に向いていた。

 

以下、血を吐くに至った

最近の個人的な悩みと回想。

4000文字超えてしまった。

 

 

 

3年前まで、私がやってた仕事△△△△。

仮に、じまん焼きと呼ぶことにしよう…

研修会は、じまん焼きの人が講師だったのだ!

 

初めてじまん焼きという職業を知った学生時代、

これなら自分でもできるんじゃないか、

そう思った。

 

両親は、娘は今川焼きになるのが当然と思い、

他の進路なんて選びっこないと信じていたらしい。

今川焼きになるのが順当な進路。

大学も、今川焼きや大判焼きを目指す友人ばかり。

でも、そんな中で私は浮いていた。

話が噛み合わないというか、

そのつもりなくても個性的だと言われたり。

 

今川焼きになるための 職場体験もした。

とても 辛かった。

他の人と同じにはできないし、

良かれと思ったことも裏目に出た。

苦手なことが、これでもかというほど

できて当然のこととして要求された。

だいたい、私は座ったら寝てしまう…。

 

自分は今川焼きにはなれない。

 

そう自分では分かっているのに、

両親の期待を裏切っているのでは?

自分が我儘なのでは?

と、苦しさを感じる自分が受け入れられなかった。

 

じまん焼きの募集チラシを見ても、

自分がじまん焼きになるなんて、思わなかった。

今川焼きの試験の前哨戦になる、

これは試験の練習と思って本気にならず、

試験時間ギリギリに行った。

 

面接に進んでも、同じ気持ちだった。

ところが、じまん焼きの面接官は、

私に期待してくれた。

 

今川焼きの世界では、味わえない気持ちが

私の心に植え付けられた。

 

就職活動は、

今川焼きと じまん焼きの内定をもらえた。

じまん焼きの内定は、最終面接の当日に

飛行機に乗って帰る前に電話をもらった。

 

すでにもらっていた地元の今川焼きを断ってから

飛行機に乗って帰った。

 

今川焼きに内定が決まって安心している家族には

黙ったまま面接に行っていたのだ。

 

私はじまん焼きになると決めた。

それを告げたときの

親からの罵詈雑言と思い止まれという泣きつきは

兄弟がひくほどだった。

じいちゃんが歳相応に呆けてきたことさえも、

お前が孫として、可愛がられて育てられたくせに

それを裏切ってじいちゃんを

がっかりさせたせいだと言われた。

地元で就職しなければ

じいちゃんの葬式に出られないかも知れないんだぞ

(根拠なし)それでもいいのか…

そうか、お前はそんな子だったのか…

 

就職しないでニートになるとか

世界中を旅するとか、

突拍子ないことを言ってるならともかく、

 

国内のまっとうな仕事をするのに

なんでこんだけ 裏切り者呼ばわりされなくては

いけないのか?

トヨタ自動車の社長の息子が

日産自動車に就職するとかならまだしも、

親は

今川焼きとも、じまん焼きとも

関係ない、ただの会社員と専業主婦なのに?

 

じまん焼きなんてダメだ!

今川焼きになるのが1番いいんだ!

大判焼きですらないのか!この不良娘め!

 

なんの根拠もない、ただの偏見に辟易として

私は 自分を 育ててくれると信じた

じまん焼きの世界に飛び込んだ。

 

キツかった。

でも、嬉しい瞬間がたくさんあった。

何より、じまん焼きの世界には

私の居場所があった。

私が信じるようにそのまま突き進むことができた。

仲間に恵まれて、心から楽しかった。

 

でも、楽しかった日々は、ずっとは続かなかった。

就職して2年経って、

現場から事務に異動になったのだ。

これ自体は出世コースだった。

 

しかし私は特発性過眠症

当時、異常なしと誤診されたとはいえ、

昼間の居眠りは健在。

 

立ちっぱなしの現場だからこそ

なんとか起きて働けて、

たまの事務仕事で居眠りして怒鳴られるくらいで

済んでいたけれど、

事務室は、無理。

 

結婚しても単身赴任して

じまん焼きを続けさせてくれと粘っていたが、

居眠りによるミスの連続で立場が悪くなり、

旦那も体調を崩したため、

辞めることにした。

現場にいたころの仲間と仕事の話題が共有できなくなったのも、かなり辛かった。

辞めると決まってからは、

あっさりしたものだった。

送別会を年末の飲み会を兼ねてやってもらったが、

現場はその頃人間関係も何もかもが荒れていて

事務に異動して行った私が退職することなど

だれも構っていられないくらいだった。

でも、自分が力を入れて働いていた管轄現場の

パートさんと、一緒に就職した同期が泣いてくれたのが、本当に嬉しかった。

最後の当直日に一緒に泊まった先輩と

話しているとき、

辞めるのか、それは知らなかったと初めて驚かれ、

その場で財布から2万円のお祝金をもらった。

裸でごめんね、と。

退職すると決めたのならば、それは祝うに値する。

一番いけないのは、やりたくないと思う仕事を続けて時間を無駄にすることだ。

辞めようかどうかという相談には応えようがない。

辞めますというのならば、心から応援する、と。

 

その人は、私が事務に異動するときも

また現場に戻る日のために勉強しておいでと

励ましてくれた人だった。

 

2万円は、最初遠慮した。

でも、もらった。

今年の収入に合わせた所得税が来年かかるから、

転職期間は金銭的に辛いから

受け取りなさい、と。

とてもありがたかった。

 

結局、収入に関していえば転職は成功し、

お金には困らずにすんでいる。

そのことも、感謝している。

じまん焼きの事務の先輩も上司も、

転職に必要な前職証明書を快く、そして素早く

手配してくれた。

 

新しい職場は、

あんなに嫌がっていた、今川焼きだった。

 

今川焼きも、

現在ならできなくはない。

卒業したてならともかく、

じまん焼きで社会人経験を多少なりとも

積んだのだから。

自分の得意なこと、苦手なこと、

働くための人付き合い、

ミスしたときの振る舞い方、

ある程度はコツが分かっている。

だから、今川焼きでもなんとかなっている。

仕事が面白いとも、思う。

辞めたらもったいないとも、思う。

 

…だけど、

かなり身体がキツい。

 

毎週、何曜日かは現場から外れて休養。

チームでやってるのに、申し訳ないという気持ち。

そういうふうに考えるなと言われても、

申し訳ないものは申し訳ない。

 

何よりも、辛いのは、

じまん焼き時代にはなかった、頻繁な出張…

初めて行く場所が大嫌いな私には、かなり辛い。

毎日の業務も変化に富んでいて、

目が回ってしまう。

 

じまん焼きは、ルーチンワークが主だったから、

真面目にやってることが一番って感じだったけど、

今川焼きは頭の回転スピードが求められる。

 

今川焼きになれば、

散々に嫌がらせめいた言葉を

吐きかけてきていた両親と

仲直りができるという期待も、

かなりあった。

これは、全然無理だった。

今川焼きになって、元気にやっていると

いい子ぶった電話をしたときに、

「どうだ、今川焼きの方が面白いだろう」

父親に言われて怒りがこみ上げ、

自分が参ってしまったのだ。

しかも、今川焼き今川焼きでもあんこじゃないのかとか地元じゃないから意味がないとかのクレームつきだった。

 

今川焼きの生活に適応できずに

毎日帰宅して号泣し、

旦那は自分が転職させたせいかと恐縮し、

マリッジブルーから回復しないまま

転職後も気持ちの切り替えができずに

1年、2年と精神を病んでいった。

 

アレルギーは悪化し、

気管支炎は頻繁になり、

貧血だか低血糖だかわからない原因不明のフラつきでしょっちゅう仕事中に座り込むようになった。

腰、肩、背中は今年はまだましだが、昨年は激痛でストレッチもできないくらいだった。背中が張りすぎて、下を向くと吐き気がするのだ。

 

精神科では、適応障害ということで診断されたが、

適応障害とは、要するによく分かんないということだ。多分。

ただ、この精神科医は、気分が落ち込む原因になっている身体的苦痛を徹底的に取る方針で

アレルギー科でもう仕方ないと放置された私のアレルギーに、よく効く薬を出してくれているので頼りにしている。

 

医師は休職する必要があるとは言ってないが、

本当に今川焼きを今後も続けるのかと思うと、

自分の身体は心配だ。

ついつい在宅ワークに魅力を感じてしまう。

先日、血を吐いてからは特に、

そんなことばかり考えている。

 

 

でも、今川焼きはいわゆるブラック企業ではない。

2年半しかまだやってない。

まだ、工夫次第で楽にできるようになる気もする。

自分の時間を増やせれば、

適応障害も治る気もする。

今よりいい職場はないし、

もっと向いている仕事があるとしたら勤めではない気もする。

そして、認めたくなかったけど、

過眠症である以上は、じまん焼きには、もう戻れない。

 

今後どうしていこうかと悩んでいるけれど、

じまん焼きの人に会えたことで

とても元気が出た。

 

やっぱし、今川焼きでも、じまん焼きでも、大判焼きでも、

鋳型の鉄板で焼いた丸くて中に餡が入った 百円くらいの 屋台っぽいお店で買える お菓子が私は好きだし、

今川焼きとかじまん焼きとかを超えた、その業界全体への理解や活性化に私は貢献したい。

その業界の総称がなく、今川焼きだけが業界の代表ぶっていることが、私は気に食わないのだが。

 

今川焼きをしていると、じまん焼きを知らない人によく会う。同じ仲間なのに、どうして交流がないのだろうと思う。

じまん焼きをしていた頃は、今川焼きの仕事のことを、私はよく分かっていなかった。今川焼きの人は思っていたよりずっと気持ちの良い人ばかりだ。

 

今は辛いところだけど、

じまん焼きから今川焼きになる決断は他でもない、

自分自身がしたのだし、

何か、将来初めて分かる意味が

あるのかも知れない。

 

この研修に参加して、

「そうだよなぁ、

じまん焼きの焼き方は最高だよなぁ」

「じまん焼きに学ぼうとしている今川焼きの人がこんなに、集まっているんだ。この人達と仕事をしたいなぁ」

 

と、明るい気分になれた。

自分はまだ、何かやれるんじゃないかなぁ。

まだ、仕事を辞めずに工夫できるとこを探してみたいなぁ。

 

研修後の飲み会で、

「じまん焼きに戻っておいでよ。」

と言われた。

すごく嬉しかった。

本当に嬉しかった。

この嬉しさを誰とも共有できないのが、

今川焼きの哀しさだ。