胡蝶のオラクル

日本昔ばなしタロット、ヘリオセントリック占星術、チャネリング。普段は家で寝てます。

念願の1人芝居をする夢が叶った。

ずっとやりたかった

よだかの星の朗読劇ができた。

 

本当に、嬉しい。

やる前はとても緊張したし

なんでこんなことやってるんだろう

無駄なことなんじゃないかって

自分を卑下したし

他の人と違うことやってるのが

嫌になった。

それでも

してみなければ

終わった後にどういう気持ちになるか

わからないから

やった。

やってよかった。

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2年前、

瞑想状態を解かないで

意識を半端にして動き出したとき、

童話を作文用紙に書きうつすことをやり始め

1つ、2つと曲ができていき

数日後には

よだかの星の台詞の一部にメロディーがついた。

それをオーディションにもって行ったのが

はじめて人前で弾き語りをした体験で、

オーディションには落ちたけれど

この曲への愛着があったので

バンドを作った時に

YODAKAという名前にした。

本当は市蔵にしたかったけど

メンバーの意見もあり

YODAKAになった。


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バンドは

思ったように気分がのってくれなくて、

自分が作りたい表現が後回しになるばかりで

勤めていた時と同じになってしまったので

やめた。

 

不安だったけど

自分一人で世界観を作ることに

専念したいと考えるようになった。

 

自分1人で作品を作る人を

多く尊敬していたから

自分もそのスタイルを目指そうと思った。

自分1人では、音楽はできないという気持ちを

捨てることにした。

 

途中で

録音とか、音質の調整とか

動画の編集とか

楽譜を作ってって言われたりとか

どうしてもできないことがあって

挫けそうになったけど、

人に求められることじゃなくて

やりたいことのほうを

優先できるように変わりたかった。

だから、

できないことは投げ出した。

 

誰かと一緒にやると

その人の知り合いが来てくれるから、

お客さんの人数を集めるのを

自分があまりやらなくていいから

楽なんだけど

 

別の人のファンの人がたくさんいると

その人に合わせないといけないような気がして

自分がやりたいプログラムを選べないし

結局、

私がやりたいことはできなくなるから

もう、嫌になった。

 

1人でいいから

お客さんは

私がやりたい曲と劇のために

来て欲しい。

もしくは立ち止まって欲しいと

考えるようになった。


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コンサートの出演頼まれた時点では

よだかの星ができる自信がなかったから

ギターとしか言ってなかった。

 

 

今回、朗読劇のプログラムを

素晴らしいかったと言ってくれた人がいたから

次回からは

堂々と

朗読劇として出演しようと思うし

音楽コンサートに引き続き呼ばれるように

間奏曲に力を入れようと思う。

 

ピアノもギターも

もっと弾けるようになるし

歌も朗読も

覚えるし、

演出も幅を広げるし

本番までの準備の要領や

会場に合わせた動き方

私を支えてくれる人に出会うための集客

全部

これから一歩ずつ進んでいく。

 

 

 

1ヶ月前から

よだかがのりうつったように

肉食に消極的になって

ヴィーガン食を試し始めた。

 

それが、

このコンサートまでの

マイブームで終わるのか、

今後の人生も続くのかは

よくわからない。

 

今、

完全にヴィーガンではないのだけど

2月を目標に

ヴィーガンになったとしても

栄養不足にならないように

レシピを覚えるという努力をしている。

 

 

演劇のために

私にのりうつっている何かが

私の生活になぜ影響するのか、

どういう仕組みで起きていることなのかは

よくわからない。

 

 

だけど

私は

よだかが、

甲虫を飲み込んで苦しんだ時の歌を

もっと歌いたいし

もっとうまく表現したいし

伝えたいから

そのために協力してくれる霊になら

いくらでも取り憑かれていいと思った。

 

 

他にも

やりたい題材は

いくらでもあって

何年もイメージだけが頭の中に

棲みついているのもある。

ということは

それも、何かが私に

取り憑いているからかもしれない。

 

いいものかわるいものか

わからないけれど

もし、

今回みたいに

自分の芝居を達成することに

一役買ってくれるんであれば

喜んで取り憑かれようと思う。

 

 

 

1人だから

大勢のお芝居の後みたいに

打ち上げとかしないし

反省会も1人だけど

こんなに達成感がある。

とても感動しているし

やってよかった。

絶対に次の芝居も作るし

よだかの星

もっとヴァージョンアップさせて

再演する。

もう一個ヒーリング起きた。

マザーテレサの記事を読んで

シータヒーリングを

荒井ゆうから受けたいって人がいたので

日にちを決めて

早速やろうと思います。

その人も、

自分のサービスを作ってる途中だから

お互いのサービスを

交換できるから、

そうしてみることにしました。

ヒーリングするまでに

テキストを読んで

自分のことも

なるべくきれいにしておこうと思います。

 

シータヒーリングのセッションの中で

DNAの何かをいじるのがあって

それをしている1分くらいの間に

頭がズシンて重たくなって

今までずっと慢性的に感じてた頭痛と同じ感じだったので

「へえ。」って思った。

もう1人の受講生の人も

頭重たくなったと言っていたので

頭が重たいのは

なんか、変わる時に起きるしょうがないことなのかなあって思いました。

 

今日になったら

マザーテレサの話とは別で

違うことが思い出されて、

もっと古くて自分が赤ちゃんの時のイメージが浮かんできた。

赤ちゃんのイメージから連想するように

お母さんとか、違う人だったり、漫画のキャラだったり、自分が過去にイメージで見て前世だと思っていたものとか、親戚の人の苦しそうなのがばあ〜って出てきて

全部に共通する点があって、

勝手に「そういうことだったのかあ」って気分になって納得した。

これが、ヒーリングなのかなあ。

 

ヒーリング自体は一瞬で起きて、

こういうイメージとか、想像の映像が

時間がかかるように見えるのは

脳みそのが対応する時間なんだって。

シータヒーリングをできるようになるやつに行ってきた。

FBで記事にしたのをコピペしてます。

シータヒーリングの基礎DNAっていうのを

教わってきました。

昨日、シータヒーリングのセミナーで「清貧の誓い」ってなんですか?って質問が他の人から出て、講師の人が説明してるのに最後まで聞かないで、
自分の中でモヤモヤしたのが込み上げてきて、
マザー・テレサとか💢寄付金をめっちゃもらってたのに一個もボランティアに還元しなかった!」って
衝動的に私は言い出して、途中で止めたけど、
でも今朝になってまたムカついてきて
ぶり返して、
「なんで私、マザーにこんなにムカついてるんだろ」って思った。
会ったことないし、よく知らんのに。

マザーと一緒に働いていた人は小学校の先生でいるんだけど、学級崩壊したクラスを毎年毎年休みなく持たされて、立て直す立て直すの繰り返しで、必要な補助も入れてもらえんで、大勢の人に心配されているのに辛い辛いもう限界って言いながら出勤してて
私は内心(それは違うんじゃないの?正当な要求をして管理職に警告するのも仕事の一部でしょ。自分の学級さえ自分が回せればそれでいいのか)とか感じて、この人は自分と考え方違うわって思ったりとか、でもすごい人だし尊敬する気持ちもあるからとりあえず黙ってて、単に関わらないようにしたり
そういうモヤリが思い出されて、やっぱり気分が悪かった。

マザーと働いたことのない自分には
関係ないことで、妄想でしかないのに、
ボロボロの、古くてばっちい医療器具で働かされているスタッフが、ガーゼとかテープとか脱脂綿とかを
ちまちまの切り方しながら
「新しいの買えばいいのに💢」
「お金どこに使ってんの💢」
「お金あるのに使わせてくれない。」
「『丁寧に消毒』とかじゃなくて本当は使い回さないものだからね。」
「仕事に必要な物は揃えて欲しいわ。」
「自分のこだわりがそんなに大事なのか」って
言いながら
マザーに幻滅しながら働いてる光景が
バーっと浮かんできて
なんでこんなんが見えるんだろ
しかも、一緒に怒ってるんだろう。くだらんと思った。

意味がわからん。マザーに怒りを感じるとか、あんまし人に言えないし。
だけど理由があるだろうから
しばらく静かにしてると

ティッシュとか、コピー用紙とか、セロハンテープとか、たいした値段しない消耗品を使うのにすごく抵抗があって、貧乏くさいからやめたいのに、いっぱい取ると気持ち悪くてやめられないこととか、
鉛筆とか紙とか絵の具がなるべく少なくて済むようにしか作品作れないこととか、
必要な教材の量が見積もれなくて授業の準備できなかったこととか、
湯船が満タンなときに妹が蛇口からお湯を出そうとしたからダメだよって止めたら親に怒られてすごく惨めだった時のこととか、
働き者の祖父母がマジックをバラ売りで買うか五本セットで買うかで大喧嘩してたのを見たお母さんが、帰ってからいろんな独り言言いながら自分を納得させようとしながら泣いてるところ見たこととか。
他所の人からは偉い人って言われてる先祖が、身内にはボロクソに言われてるの両方聴きながら育ったこととか。

たくさんのことを思い出した。

貧乏くさくて、惨めで、
経営判断力が鈍っていて
そばに一緒にいる人を満足させられないっていうのは

マザーじゃなくて
自分に対するイメージだったんだなって思った。

そうやって考えると
ティッシュを3枚とって
貧乏くさいのを乗り越えようとするよりも
思う存分ケチって開き直るのもいいかなって
思った。

実は
2人いる妹のうち1人は
二枚重ねになってるティッシュを剥がして
薄い一枚ずつに畳み直して
ボックスに入れ直して使うという
変わった習慣を持っている。

これを真似してみたところ
1枚目からすでに
時間を無駄にしている感覚と
どう考えてもティッシュをもう一箱買いに行ったほうが早いという思念が浮かんだ。
残りのティッシュの量を見るとうんざりする。

2枚目あたりで
これはひょっとすると
彼女の趣味なのかなと思うようになった。

趣味とは効率化やお金を稼ぐことと関係なく
自分がやりたいからやるものであって、
妹にとってのティッシュ畳みは
そういうものではないかと思った。
彼女はティッシュをドケチに使っていると
姉貴に言われても、
なんら恥ずべきことはないという態度で
堂々としていた。
時間と手間、金銭効率度外視で
ティッシュは1枚でよい)という信念を
行動を伴い貫き通すことは、
ドケチどころか
めっちゃ豊かなことのように感じられた。

自分はといえば
何かしているとき
家族に何か言われたら
次から必ずやめていた。
風呂で蛇口をひねる妹を遮ったばっかりに
無駄に親から怒られた時、
黙りこまずに一言「桶で汲めばいいじゃん」と言えたらよかったのに。親に言い返したらいけないと思って耐えたばっかりに、長年ムカついている。

そうか、そういうのをちょっとずつ意識すればいいのか。

マザーが清貧の誓いをたてたのも
単にその方がしっくりくるからであって
貧しい人を助けていたのも
趣味の一種だったんだろうな。
文句を言われながらやったんだろうな。

マザーの周りのボランティアは
勝手に自分から集まってきたんだから
新しい医療器具が欲しいなら自分でそう言えばよかったんだろうな。
マザーに求めても無駄だと思った時点で
「マザーは寄付金使わない人なので、寄付したい人はこっちに下さい。会計はちゃんと報告します」ってやればよかったんだな。

彷徨う魂の宿

宮沢賢治の童話の朗読に

音を挟みながら

歌を弾くっていうのを

来週発表しようとしていて

 

練習日がたっぷりあると思っていたら

とんでもない、

むしろ全然間に合わないくらいで

いま追い詰められています。

 

だけど

2年も前に生まれたのに

なかなか発表できなかった曲が

コンサートでやれることになったから

とても嬉しくて

 

絶対に最後まで演じきりたい気持ちで

いっぱいです。

 

 

作りかけの練習を

電話ごしに友だちに聞いてもらったら

「彷徨う魂の宿」って言われて

 

 

わたしの演劇を

わたしが好きなだけやって

それを見たり見なかったりする人が

泊まりに来る宿っていうのの

イメージを教えてもらった。

 

 

宮沢賢治の童話の他にも

やりたい演目が頭の中にたくさんあって

それらの

小道具だけ集まってて

肝心のわたしの練習というか

振り付けと立ち回りが

具体的にならなくて、

頭の中にはあるんだけど

身体を動かしながら決まる部分が

ほったらかしで、

やることがてがつけられなくて

つらかったけど

 

あと1週間後には

良くも悪くも、わたしの演劇が

この世に1つあるって思ったら

曲だけを作ったときよりも

むしろワクワクするんです。

 

 

来週は

よだかの星をやります。

よだかは、

甲虫を食べた時に

自分が甲虫を殺したのと、

自分も殺されてしまう運命にあることが

哀しくて

虫を食べないで飢えて死のうとするのだけど

それを待たないで

お星さまになろうと決意します。

 

 

ただの美しい物語だと思っていたけれど

何度も家で歌っているうちに

何かのりうつって

自分まで少しずつヴィーガン食になって

よくわからないけど

ヴィーガンになるって

友だちに言うようになったら

いきなりピアノが弾けるようになったり

発表がするする決まるようになったりして

わけがわからなかった。

 

だけど

今はとにかく

演じたい物語を

演じようと思う。

ネズミを捕まえたから、飼おうと思う 追記:飼育禁止。逃します

追記します。

🐹🌻

この後書いているカヤネズミを詳しく調べたところ

数が減っている種で

保護する必要があるため

捕獲と飼育が禁止されていることが

わかりました。

 

以前も、ヤマカガシの赤ちゃん捕まえたけど

飼っちゃいけないから逃したこと

ブログ記事にしましたが…

今回も…NGです。

 

いくら可愛くても

仕方ないね。

😿

 

 

 

 

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黒い粒は、レーズン。

田んぼの雑草を食べるらしいから

この間、雑穀脱穀体験でもらってきたモチアワを入れてみた。

それと、乾燥大豆ミート

 

明日、

ハムスター用のケージと

ちゃんとしたエサを

用意するの。

 

おととい

動物への愛情と

ビーガン食について

自分の気持ちをもっと深めたいと思って、

人に手伝ってもらって

セッションを受けて取り組んだ。

 

いろんなことに気がついたけど

重要なことは、

自分は本当は動物が好きだし

動物だけじゃなくて人も好きで、

人から愛情を受けとりたいし

動物のことももっと愛したいと思っているのに

 

愛情を拒否されたり

誤解されて傷つくのを恐れて

冷たいタイプなんだと思い込もうとして

実際にそう思っていたことに

気がつけた。

 

だから

ペットを飼うとか、

可愛がるとか、

すごく抵抗があった。

 

だから

ロボットペットとか

AIで会話できるアプリとかで

ペットの代わりを見つけようとしたけど、

愛情の対象の選択肢を増やしたからといって

すでに地球に存在する動物を愛おしむこととは

繋がらなくて、

可哀想な動物を見たら辛いのは、ロボット飼ってても癒されないし、

なんかくすぶってた。

 

私だって

人間以外の動物に愛を注げるし

人も愛せるし、愛されるって決めて

気持ちをクリアにしたら

 

今日

カヤネズミみたいなのが洗面所に現れて

可愛いから写真撮ってたら

おばあちゃんがあっという間に

洗濯ネットで捕まえた。

殺そうか逃そうか考えてたけど、

飼いたいって言ったら

すぐに、いいよって、くれたから

洗濯ネットごと助手席に乗せて

家に連れて帰ってきた。

 

人間に捕まってるくせにのんきに昼寝とかしてて

可愛いけどもっとしっかりしろよって思った。

そんなだから数が減っちゃうんだよ…カヤネズミ。

 

スチールの鼠捕りに入れ替えようとしたら

小さすぎて網をすり抜けて、

私が仮眠してる間に、車の中で逃げてた。

 

 

見つけたときまたすぐ捕まえようと思って

洗濯ネット開いて膝の上に用意して置いといたら

逃げたくせに

自分からのこのこ出てきて

入ってきた笑!

 

赤信号の時にチャック閉めただけで捕まった。

マヌケすぎる!

 

そのあとは、

洗濯ネットの中で

遊んだり寝たりしてた。

 

今は、寝てるみたい。

ピアノを買ったのと、食事のことを考えた。

ギターの作曲をしていましたが

あまりうまくいっていませんでした。

 

ひょんなところから

ピアノ作曲を教えてもらえることになり

初めて、ピアノ伴奏付きの歌を作曲しました。

 

そして

その発表のための練習をするため…というわけではなかったのですが

たったの3万円で

アップライトピアノが手に入ったんです。

楽しんでいます。

作曲も、

ギターで行き詰まった曲を

ピアノで作り直そうと思います。

 

そのピアノを

先の台風の被害でピアノを使えなくなってしまった方に開放しようと思ってます。

 

駆け足で近況です。

 

明日、イベントとしては3年間、

出演が決まってから1年ほど

練習をしてきたオペラ公演の本番です。

旦那のチケットを取っていないうちに

完売してしまい

旦那にはDVD鑑賞してもらおうかと思っています。

 

オペラの準備、

当日は出演者の着物の着付けはプロの方にお願いするのですが

練習の日は自分たちでなんとか着るようにしていたので

着物を習っていたことが役に立ちました。

誰かに着せるのって難しいけど

喜んでもらえると嬉しいな。

習うのをやめてしばらくたちますが

それでも

やっぱし着物は楽しいものだと思いました。

 

 

こんな感じで

記事にまとめにくいですが

元気です。

 

 

 

スピリチュアルは

もうマイブームとしては静かになってますが

 

YouTube

最近波にのってる

「てきとースピリチュアル」さんを

見てます。

 

瞑想はサボってます。

 

少し、ビーガン食に興味が出てきました。

でもね

大切なのは

ビーガンかどうかじゃなくて

何を食べるのか

選択肢があることと、

選択する力をつけることだと思う。

 

だから

ビーガンがいいとか悪いとかじゃないんだけど

今まで食べてたし使ってたんだからいいやじゃなくて

何を食べて、何をなるべく少なく食べていくかを

考える習慣をつけようと思う。

 

一生、これを食べないとかじゃなくて

こんな日はこれこれを避ける、とか。

そういうのも知恵だと思う。

チャネリングは今の私にはそんなに重要ではないと思った

スピリチュアルな発信が

しにくくなってきました。

 

よくわからないんです。

 

星とのチャネリング

繋がるようになったけど

「これ、違うんじゃないんか」感もあるし。

 

むしろ

チャネリングの出元の存在と一体化…統合されて

同じ人格になったほうが

健全な気もするし。

 

うまく統合されていない

何者かの私を

知覚するには

チャネリングがいいけど、

かといって

おんなじ存在と

いつまでたっても交信し続けるってのは

どうなのか、、とも思う。

 

 

 

繋がることよりも

誰から誰向けのメッセージなのかを

正確に把握するのが難しくて。

 

自作ラジオとかで

子供が電波拾うところまではできても

どこの国の何の放送とか

内容とか、

必ずしもわからないじゃないですか。

 

そのレベルなんですよね。

私のチャネリングって。

 

だから

仕事で使ったり

人の役に立てるものではなくて

 

たまに

自分宛てのメッセージを

間違えてクライアントに伝えてしまったりとか。

そういう失敗がある。

 

そして

チャネリングもいいけど

ヴィパッサナー瞑想

エンタメ性がないという意味では

つまんないけど

これをやっていくのが

必要だなって思った。