胡蝶のオラクル

日本昔ばなしタロット、ヘリオセントリック占星術、チャネリング。普段は家で寝てます。

なんかよくわからないけど、今年の正月はうまくいった

元旦の暗い時間(大晦日の真夜中)

いろいろと悶着が起きて

そのあとついFBに愚痴りました。

だけど

腹が立つのを表に出したら、

翻って、良い顛末になりそう。

 

家族に腹を立てていたけれど

すんなり誤解が解けて

泣き寝入りしなかったから自信もついたし

過去のわだかまりが消化されて

次に進めそうな感じ。

 

祖父の相続や

親の介護の話し合いが

うまくいってる気がしなかった妹とも

普通に話せるようになって

今はスッキリ。

安心感の土台みたいなのができて

2020年の始まり素晴らしい。

 

 

FBで

無理やり前向きに愚痴った文章↓

今見ると面白い。

事態が飲み込めないあいだ

うまくいくように祈りまくった笑

 

さっきまで門松に火を焚きつけて蹴り倒したいくらいの気分だったけど、なんとか持ち堪えた。
正月ってなんでこんなに消耗するんだろ。
もうくたっくた。今年だけの我慢と自分に言い聞かせながら毎年泣いてる。それを1年引きずってすぐまた次の正月になる。
自分の中にある罪悪感と卑屈さを解放しない限り、責められるのも嫌がらせされるのも引き寄せて一生続くんだから、
自分は絶対悪くない、私はそんなふうに言われるのに見合うような人間じゃない、私には価値があるって信じ抜いて毅然としているしかない。
いちばん大切な人たちだったはずなのに、どうしていちばん会うのがつらい人たちになってしまったんだろう。今まで苦しかったけど、わたしの心の投影はわたしにしか変えられない。
周りの人たちがわたしの心の投影ならば、どんなにグチャっとして陰湿に見えても、必ず愛と光があるはず。どうせわかってもらえないからと諦めたくなるのを堪えて、うわべの感情に流されず、勇気をだして心を開くしかない。逃げても受け止めても、進んでも失敗しても、毎年正月は繰り返し来るし。

シータヒーリングの掘り下げ後の悲しい気分で書いた

シータ波やアルファ波のときに考えたことは願望実現しやすいんだったら、逆に考えたらベータ波とかガンマ波を出しながら悪態つけばそれは実現しにくくなって理に適ってるんじゃないか?って思った。

昨日の夜の夕飯は旦那が作ってくれたんだけど、食べようとした直前に目の前でケチャップを料理が見えなくなるまでかけられて「塩分が大事だからね」って言われて、
自分が作ってないから文句言う資格ないかと思って黙って食べたけど、風呂入りながら、そんなやり方で嫌がらせするくらいなら言いたいこと言えばいいじゃんって思えてきてムカついた。
塩分どうのこうのの食事療法も、食事の支度も、私なりに頑張ってとりくんで、教えてもらったことを小出しにして伝えながら、旦那に負担かけないように気遣ってちょっとずつ食卓変えてるのになんで揚げ足をとるような方法で気後れさせるのか意味わからんあのタコめって思った。

今までだって
おいしく味噌汁が仕上がりそうな直前に、ろくに切り揃ってない生ジャガイモを、嫌だって言ってるのに鍋に放り込まれて煮詰め味噌汁にさせられたり
帰宅時間から逆算して1番おいしいタイミングで出せるようにガス火であっためたのに平気で風呂に入るって言い張るし風呂ルールのこだわりが強くて意味不明で面倒くさいし
お母さんに教わった得意のアップルパイは、リンゴは生で食べるとかいう謎のこだわりで手もつけてもらえなかったし
噛む音うるさいし、食べかすボロボロ落とすし、テレビつけるし、ずっと我慢してきたけどあんなんと一緒に夕飯食べるのもうやだ。ばーか!ばーか!

それで昨日の夜、頭痛いの我慢しながら寝たり目が覚めたりして、その間に泣いたりして
「これだと寝る直前にシータ波を出しながら考えたことが思考実現してしまって、旦那が味覚オンチの煩いアホ偏屈で料理ド下手くそで風呂ルールが意味不明なことに泣き暮らす哀しい方向がさらに90%も加速してしまうな。そんなのやだ。どうしよう」って思った。

だけど、目の前で食べようとしてたものをケチャップ漬けにされて塩分のことを嫌味に言われて悔しいし、悲しいし、泣きたいし、
思ったことを考えないようにするのは今までもずっとやってきたことでその結果が今なんだから、同じことはもう続けたらダメだとも思った。

じゃあ、どうすればいいのだろう😢
「そうか。愚痴と悪口は言うけど、シータ波が出ないようにすれば実現可能性が減るはずだ💡」って思いついた。

そこでなるべくガンマ波が出るように、ベッドマットを蹴飛ばしたり、床を踏みつけたり、枕を握りつぶしたりしてみて集中したところ
これだけやれば10%くらいしか実現しなさそうで安心な気がしてきた。

頭の中で悪態をついていたら
・そもそも、私は料理をしていないわけではない。用意してても旦那が品数を勝手に足して、私の作ったものを食べないだけだ。
・漬物は私がメインで作っている。これも、あいつが食べないだけだ。
・私は悪くない。もともとはちゃんと料理していたのに、結婚するときに私だけが荷物を減らして、調理道具とかを全部向こうに合わせて暮らし始めた。最初から公平にスタートしてない。

いっぱい不満が出てきた。
向こうには向こうの言い分があると思うから
これが正しいかどうかは別だし
同じ状況でうまくやれる人もたくさんいるのはわかるけど、それはその人のことで私は別人だから
生まれて初めて、仕事以外の場面で
「私、悪くないもん。タコかす」って思った。

子どもの頃妹になんでも譲るように言われてたから遠慮しながら食べてて中学生の頃とかお腹空いたし、お正月料理とか男の人と女の人で同じ食卓でも手を出していいものとタイミングは暗黙の了解で別だったし、兄弟で私だけが台所手伝えって言われるのに手伝えば必ずけなされた。
ああいう家庭にしたくなかったから、無理やり漬物勧めたりとか人に食べもの強要するのやめようと思ったのに、実際に好きなもの好きなときに食べる個人主義方式にしたら、自分ばっかり虚しい。
私がもらってきた野菜を、食べ物なのに「処理する」って言い方で調理されたり、
炊き立てのご飯食べたいって言ってるのに1度に食べきれない量のご飯炊かれて、それなのにやっぱり今日は蕎麦がよくなったから食べないって言われたり
私ばっかりが昼間に前日の残りものを食べてる。
だけど、私は1つも悪いことしてないもん。

旦那さんが食べてくれないのは私が作るのが下手だからだって言う人がいたけれど、あんなのとはもう2度と口を聞かない!
私のことを、旦那さんを大切にしない奥さん呼ばわりする人とももう付き合わないし会わない!
そのほか、正月によくあるセクハラをしてくる人とも絶対に今後は付き合わない。何か言われても私は受け入れない!
旦那の食生活に私は責任を持たない。それを私の役割だと言ってくるような人はなんか勘違いしているから、そんな人の言うことはもう知らない。
そのかわり、自分の食べ物は自分でちゃんと選ぶ。おいしくないものは食べない。あとで気分が悪くなったり頭が痛くなったりどこか痒くなったり咳が出るものは、誰のためでも食べない。
食べるのは、私のためのもの。
自分にとっておいしいものしか用意しない。
旦那の好きなものに付き合うのはもうやめる。

私はもっといいものを食べていい。旦那が作りたいから作って食べなかった残り物とかじゃなくて、私のために用意されたものをちゃんと食べる。
旦那も悪くないけど、私だって同じくらい悪くない。
誰も悪くない。
来年は簡単にケチャップで埋められるような愛情こもってない料理絶対食べない。

食べたくないものを残しても私は飢えたりしない。
「文句があるなら食べるな」とか言われると子どもの頃すごく怖かった。だけど実際は一食くらい抜いたってなんてことない。もともと少食だし。
もう好きなものしか食べないし、脅したりしてくる人とは付き合わない。
嫌なこと言ってくる人と付き合わなくたって、いい人がいっぱいいるんだから我々夫婦はそういう人に見守ってもらえるんだから安心。
ムカつく。もうやだ。頭痛い。こんなんはもう最後にする。
来年はもっといい年になる。
今夜のお年とりも、選んで食べる。
食べたいものは、自分で用意する。

シータヒーリングの本を読んだら、よかった。

「シータヒーリング」(ヴァイアナ・スタイバル著)読み終えた。かなりの内容で分厚い本なので、ちょっとずつ読んでいたのでは先に読んだところを忘れそうだから、今週引きこもって一気に読んだ。
シータヒーリングの基礎DNAの講座で受け取って、読んでから人にヒーリングしようと思っていたけれど、講座の演習でできたんだから、もういいだろと思って友だちにリーディングと思い込みへのはたらきかけってのをしたら、ちょうど1時間ぴったしでうまい具合にいって「なんだ。できるじゃないか。先延ばしにしないでよかった」と思った。
それでも、本を読んでおいた方がいいだろうと思って年内を目標に急いで読んだら、
この本とは別にもらってた薄いほうのテキストが、分厚い本の中の必要箇所を網羅してて、しかも教えてくれた講師の人はとても正確にヴァイアナさん本人の考えを伝えてくれてたことも、よくわかった。
それで、怪しむのはやめて、ずいぶん信頼できるなあと思いながら読んだ。

自閉症が治るとか、発達障害のところは
多分なんだけど、自閉症発達障害という言葉が何を指しているのかを、読む人が書いた人の言っている意味を想像して充分に擦り合わせてからでないと、誤読が発生してしまうかもしれないと思った。英語から日本語に直している段階の差だけでなくて、発達障害の定義も日本の中で少しずつ変わっているし捉え方も変化しているから…医療サイドと教育サイドと福祉サイドでも意味が変わる言葉なので
ちらっとここだけ読んでインチキだと決めつけるのではなくて
もしくは、誰それは発達障害ではないと思い込むのでもなくて、
ヒーリングで変化する部分と変化しない部分があるということを文章から冷静に理解すればいいと思う。

私の実感としては、子どもの発達について見聞きしてきたことと比べてあまりにかけ離れているような記述はなかったし、
発達障害を食いもんにするビジネスみたいな不穏な気配は全然なくて、むしろとっても役に立ったと思うから、すごくいいんじゃないかなって思う。
ただ、この本に限らず、いい本ってわりと全部そうなんだけど、大事なことがさらっと書かれてて読み飛ばしそうになることがあるし、
正確に読むのは大変だから、
シータヒーリングのことはシータヒーリングのインストラクターに、
発達障害のことや、子どものことや、医療のこととかは
それぞれの専門家にも聞きながら
調和する方法で生活すれば、どれも同時に役立てられると思う。

ソクラテスの弁明関西弁訳の朗読のためにトレーニングする

イギリス首相ボリス・ジョンソン氏が
ロンドン市長時代にオーストラリアで
イリアス』第1歌1〜36行目(らしい。)を
披露している映像を見ました。
古代ギリシア語のままで‼️
古典文学って、音楽的だなあ。
完全に暗記してスラスラ話せるのもすごいけど、
それを聴いてなんだかわかる人が
日本にいるのもすごいと思う。

自分の朗読劇は、
こないだ宮沢賢治の『よだかの星』をやったのが
初めての挑戦で、
死ぬ前によだかが弟に、無用にお魚を取らないでねってお願いするところのメロディーが1年前に降りてきて、ずっとほったらかしていた。
自分がヴィーガンになる気になったら、残りがするする仕上がって、発表できた。

だけど、長いし
聴いてる人は退屈なんじゃあないかとか
もっと聴いてる人に心地よい音声を出したいという課題はあって、
まずは演劇の発声方法を
ちゃんとやりたいと思った。
発声練習みたいなので無理やり声を大きくするのは違うと思っていて、
ボイストレーニング通わない理由も同じだけど
ふつうに話すときのままの声で朗読や歌うのを
なるべくしたいと、ずっと考えていた。

なかなかいいコンセプトのワークショップを
紹介してもらって、
しかも宮沢賢治の朗読をやるというから
1月はこの合宿で修行して来ようと思う。

古代ギリシアイリアス暗謡も
人がやっているのを見ると
これはこれで面白いし、
自分もあんまし気負わずに続けようと思う。

私がやりたい朗読の1つが
ソクラテスの弁明 関西弁訳」という本。
Showroomの配信で
過去に2回くらいあつかっていて、
全部通しで読んだりもしたけど
どうせならちゃんとした関西弁で
読めるようになりたいと思っている。

関西弁は現存することばだし
聞いたことくらいはあるから、
古代ギリシア語を1から覚えるよりは
訓練する環境は整いやすいだろう。

念願の1人芝居をする夢が叶った。

ずっとやりたかった

よだかの星の朗読劇ができた。

 

本当に、嬉しい。

やる前はとても緊張したし

なんでこんなことやってるんだろう

無駄なことなんじゃないかって

自分を卑下したし

他の人と違うことやってるのが

嫌になった。

それでも

してみなければ

終わった後にどういう気持ちになるか

わからないから

やった。

やってよかった。

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2年前、

瞑想状態を解かないで

意識を半端にして動き出したとき、

童話を作文用紙に書きうつすことをやり始め

1つ、2つと曲ができていき

数日後には

よだかの星の台詞の一部にメロディーがついた。

それをオーディションにもって行ったのが

はじめて人前で弾き語りをした体験で、

オーディションには落ちたけれど

この曲への愛着があったので

バンドを作った時に

YODAKAという名前にした。

本当は市蔵にしたかったけど

メンバーの意見もあり

YODAKAになった。


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バンドは

思ったように気分がのってくれなくて、

自分が作りたい表現が後回しになるばかりで

勤めていた時と同じになってしまったので

やめた。

 

不安だったけど

自分一人で世界観を作ることに

専念したいと考えるようになった。

 

自分1人で作品を作る人を

多く尊敬していたから

自分もそのスタイルを目指そうと思った。

自分1人では、音楽はできないという気持ちを

捨てることにした。

 

途中で

録音とか、音質の調整とか

動画の編集とか

楽譜を作ってって言われたりとか

どうしてもできないことがあって

挫けそうになったけど、

人に求められることじゃなくて

やりたいことのほうを

優先できるように変わりたかった。

だから、

できないことは投げ出した。

 

誰かと一緒にやると

その人の知り合いが来てくれるから、

お客さんの人数を集めるのを

自分があまりやらなくていいから

楽なんだけど

 

別の人のファンの人がたくさんいると

その人に合わせないといけないような気がして

自分がやりたいプログラムを選べないし

結局、

私がやりたいことはできなくなるから

もう、嫌になった。

 

1人でいいから

お客さんは

私がやりたい曲と劇のために

来て欲しい。

もしくは立ち止まって欲しいと

考えるようになった。


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コンサートの出演頼まれた時点では

よだかの星ができる自信がなかったから

ギターとしか言ってなかった。

 

 

今回、朗読劇のプログラムを

素晴らしいかったと言ってくれた人がいたから

次回からは

堂々と

朗読劇として出演しようと思うし

音楽コンサートに引き続き呼ばれるように

間奏曲に力を入れようと思う。

 

ピアノもギターも

もっと弾けるようになるし

歌も朗読も

覚えるし、

演出も幅を広げるし

本番までの準備の要領や

会場に合わせた動き方

私を支えてくれる人に出会うための集客

全部

これから一歩ずつ進んでいく。

 

 

 

1ヶ月前から

よだかがのりうつったように

肉食に消極的になって

ヴィーガン食を試し始めた。

 

それが、

このコンサートまでの

マイブームで終わるのか、

今後の人生も続くのかは

よくわからない。

 

今、

完全にヴィーガンではないのだけど

2月を目標に

ヴィーガンになったとしても

栄養不足にならないように

レシピを覚えるという努力をしている。

 

 

演劇のために

私にのりうつっている何かが

私の生活になぜ影響するのか、

どういう仕組みで起きていることなのかは

よくわからない。

 

 

だけど

私は

よだかが、

甲虫を飲み込んで苦しんだ時の歌を

もっと歌いたいし

もっとうまく表現したいし

伝えたいから

そのために協力してくれる霊になら

いくらでも取り憑かれていいと思った。

 

 

他にも

やりたい題材は

いくらでもあって

何年もイメージだけが頭の中に

棲みついているのもある。

ということは

それも、何かが私に

取り憑いているからかもしれない。

 

いいものかわるいものか

わからないけれど

もし、

今回みたいに

自分の芝居を達成することに

一役買ってくれるんであれば

喜んで取り憑かれようと思う。

 

 

 

1人だから

大勢のお芝居の後みたいに

打ち上げとかしないし

反省会も1人だけど

こんなに達成感がある。

とても感動しているし

やってよかった。

絶対に次の芝居も作るし

よだかの星

もっとヴァージョンアップさせて

再演する。

もう一個ヒーリング起きた。

マザーテレサの記事を読んで

シータヒーリングを

荒井ゆうから受けたいって人がいたので

日にちを決めて

早速やろうと思います。

その人も、

自分のサービスを作ってる途中だから

お互いのサービスを

交換できるから、

そうしてみることにしました。

ヒーリングするまでに

テキストを読んで

自分のことも

なるべくきれいにしておこうと思います。

 

シータヒーリングのセッションの中で

DNAの何かをいじるのがあって

それをしている1分くらいの間に

頭がズシンて重たくなって

今までずっと慢性的に感じてた頭痛と同じ感じだったので

「へえ。」って思った。

もう1人の受講生の人も

頭重たくなったと言っていたので

頭が重たいのは

なんか、変わる時に起きるしょうがないことなのかなあって思いました。

 

今日になったら

マザーテレサの話とは別で

違うことが思い出されて、

もっと古くて自分が赤ちゃんの時のイメージが浮かんできた。

赤ちゃんのイメージから連想するように

お母さんとか、違う人だったり、漫画のキャラだったり、自分が過去にイメージで見て前世だと思っていたものとか、親戚の人の苦しそうなのがばあ〜って出てきて

全部に共通する点があって、

勝手に「そういうことだったのかあ」って気分になって納得した。

これが、ヒーリングなのかなあ。

 

ヒーリング自体は一瞬で起きて、

こういうイメージとか、想像の映像が

時間がかかるように見えるのは

脳みそのが対応する時間なんだって。

シータヒーリングをできるようになるやつに行ってきた。

FBで記事にしたのをコピペしてます。

シータヒーリングの基礎DNAっていうのを

教わってきました。

昨日、シータヒーリングのセミナーで「清貧の誓い」ってなんですか?って質問が他の人から出て、講師の人が説明してるのに最後まで聞かないで、
自分の中でモヤモヤしたのが込み上げてきて、
マザー・テレサとか💢寄付金をめっちゃもらってたのに一個もボランティアに還元しなかった!」って
衝動的に私は言い出して、途中で止めたけど、
でも今朝になってまたムカついてきて
ぶり返して、
「なんで私、マザーにこんなにムカついてるんだろ」って思った。
会ったことないし、よく知らんのに。

マザーと一緒に働いていた人は小学校の先生でいるんだけど、学級崩壊したクラスを毎年毎年休みなく持たされて、立て直す立て直すの繰り返しで、必要な補助も入れてもらえんで、大勢の人に心配されているのに辛い辛いもう限界って言いながら出勤してて
私は内心(それは違うんじゃないの?正当な要求をして管理職に警告するのも仕事の一部でしょ。自分の学級さえ自分が回せればそれでいいのか)とか感じて、この人は自分と考え方違うわって思ったりとか、でもすごい人だし尊敬する気持ちもあるからとりあえず黙ってて、単に関わらないようにしたり
そういうモヤリが思い出されて、やっぱり気分が悪かった。

マザーと働いたことのない自分には
関係ないことで、妄想でしかないのに、
ボロボロの、古くてばっちい医療器具で働かされているスタッフが、ガーゼとかテープとか脱脂綿とかを
ちまちまの切り方しながら
「新しいの買えばいいのに💢」
「お金どこに使ってんの💢」
「お金あるのに使わせてくれない。」
「『丁寧に消毒』とかじゃなくて本当は使い回さないものだからね。」
「仕事に必要な物は揃えて欲しいわ。」
「自分のこだわりがそんなに大事なのか」って
言いながら
マザーに幻滅しながら働いてる光景が
バーっと浮かんできて
なんでこんなんが見えるんだろ
しかも、一緒に怒ってるんだろう。くだらんと思った。

意味がわからん。マザーに怒りを感じるとか、あんまし人に言えないし。
だけど理由があるだろうから
しばらく静かにしてると

ティッシュとか、コピー用紙とか、セロハンテープとか、たいした値段しない消耗品を使うのにすごく抵抗があって、貧乏くさいからやめたいのに、いっぱい取ると気持ち悪くてやめられないこととか、
鉛筆とか紙とか絵の具がなるべく少なくて済むようにしか作品作れないこととか、
必要な教材の量が見積もれなくて授業の準備できなかったこととか、
湯船が満タンなときに妹が蛇口からお湯を出そうとしたからダメだよって止めたら親に怒られてすごく惨めだった時のこととか、
働き者の祖父母がマジックをバラ売りで買うか五本セットで買うかで大喧嘩してたのを見たお母さんが、帰ってからいろんな独り言言いながら自分を納得させようとしながら泣いてるところ見たこととか。
他所の人からは偉い人って言われてる先祖が、身内にはボロクソに言われてるの両方聴きながら育ったこととか。

たくさんのことを思い出した。

貧乏くさくて、惨めで、
経営判断力が鈍っていて
そばに一緒にいる人を満足させられないっていうのは

マザーじゃなくて
自分に対するイメージだったんだなって思った。

そうやって考えると
ティッシュを3枚とって
貧乏くさいのを乗り越えようとするよりも
思う存分ケチって開き直るのもいいかなって
思った。

実は
2人いる妹のうち1人は
二枚重ねになってるティッシュを剥がして
薄い一枚ずつに畳み直して
ボックスに入れ直して使うという
変わった習慣を持っている。

これを真似してみたところ
1枚目からすでに
時間を無駄にしている感覚と
どう考えてもティッシュをもう一箱買いに行ったほうが早いという思念が浮かんだ。
残りのティッシュの量を見るとうんざりする。

2枚目あたりで
これはひょっとすると
彼女の趣味なのかなと思うようになった。

趣味とは効率化やお金を稼ぐことと関係なく
自分がやりたいからやるものであって、
妹にとってのティッシュ畳みは
そういうものではないかと思った。
彼女はティッシュをドケチに使っていると
姉貴に言われても、
なんら恥ずべきことはないという態度で
堂々としていた。
時間と手間、金銭効率度外視で
ティッシュは1枚でよい)という信念を
行動を伴い貫き通すことは、
ドケチどころか
めっちゃ豊かなことのように感じられた。

自分はといえば
何かしているとき
家族に何か言われたら
次から必ずやめていた。
風呂で蛇口をひねる妹を遮ったばっかりに
無駄に親から怒られた時、
黙りこまずに一言「桶で汲めばいいじゃん」と言えたらよかったのに。親に言い返したらいけないと思って耐えたばっかりに、長年ムカついている。

そうか、そういうのをちょっとずつ意識すればいいのか。

マザーが清貧の誓いをたてたのも
単にその方がしっくりくるからであって
貧しい人を助けていたのも
趣味の一種だったんだろうな。
文句を言われながらやったんだろうな。

マザーの周りのボランティアは
勝手に自分から集まってきたんだから
新しい医療器具が欲しいなら自分でそう言えばよかったんだろうな。
マザーに求めても無駄だと思った時点で
「マザーは寄付金使わない人なので、寄付したい人はこっちに下さい。会計はちゃんと報告します」ってやればよかったんだな。