胡蝶のオラクル

スピリチュアルなめかけ、霊感高まりかけ、占い好きの素人が、現在進行形で直感とヒラメキの使用例を報告します。

ジョコヴィッチの生まれ変わる食事、を読んで

以下の本を読んで、

気づいたことを書いています。

 

自分の食事療法の失敗は

心の状態にあったこと。

 

幼い頃に慣れ親しんだ食材や

食べさせてくれた家族の愛情

過去の知識のために抵抗が起きても

他の文化を学び

オープンマインドであることで

新しいことを

自分の生活に取り入れられること。

 

自分は飢えやエネルギー不足を

必要以上に恐れていること。

 

これらをクリアにして

食事療法に再挑戦すれば

今度こそ、成功するということ。

 

 

 

 

 

ジョコビッチの生まれ変わる食事

ジョコビッチの生まれ変わる食事

 

 

 

 

本屋さんをウロついていて

最近マイブームの

宇宙や星の本が

何冊も目に留まりましたが

 

これだけどういうわけかピンときて

買いました。

 

 

 

食事については

実に様々な本が

出ています。

 

上にAmazonのリンクを貼った時も

食事というキーワードだけで

何冊も出てくるし

自分も

過去にそういう本を読んだことがありました。

 

 

 

長いこと

1冊読めば類似本はいいかなって

思ってたんです。

 

でも、

これは気になりました。

 

 

 

 

 

 

恥ずかしながら

テニスのことはほとんど分からなくて

ルールも知りません。

 

それでも

買ってよかったです。

 

 

 

 

「ただのグルテンフリーの本じゃない!」

と気がつき

 

最近始めた読書ノートを開いて

大学生さながら

見開き3ページを記録しました。

 

 

 

 

 

 

 

一流選手が

食事を制するのは、

今でこそ当たり前だけれど

昔はそうではなかったそうです。

 

 

私は

この本を

今までにないほど

シンパシーを感じながら読みました。

 

グルテンフリーは

やっぱりいいんだとか

そういうことではありません。

 

セルビアという

自国民が切り開いた歴史、

長きに渡る伝統をこよなく愛し、

並々ならぬ誇りを持っている民族の人が

 

自国の伝統ある食事を

否定する可能性のある考え方を、

受け入れたことに感動したのです。

 

 

 

著者は

ベオグラードの77日間の空爆を生き延びて

その間

パンがなければ、

飢えから逃れることは

できなかったと。

 

そして、

幼少期を過ごした実家はピザ屋で、

(彼は栄養士からグルテンとチーズとトマトを避けるように言われた)

 

いつも美味しいピザを食べていました。

 

 

 

 

それなのに

自分を生かしてきた食事を

同じ食事で生きてきた家族の見守る中で

自分の行動で否定するなんて!

 

 

それは

どんなに難しいことか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それができるのは

オープンマインドでいるからだそうです。

 

この

オープンマインドは

共産主義体制下で育ったことによる

「選択肢は1つしかない」

という固定観念を疑い、

世界の様々な国や土地の

それぞれの文化の1番いいところだけを

自分の生活に取り入れていくことで

実現できるようです。

 

オープンマインド。

 

 

 

 

それに

比べたら…

 

私の食事への態度が

定まらない理由は

なんて

なあなあであることか。

 

 

 

 

グルテンフリーも

ちょこっとやって

素晴らしい結果が出たのに

たまには食べてもいいだろうと、

すぐサボって

今では麺やパンを平気で食べていました。

(で、体調を崩していました)

 

 

 

 

 

 

でも待てよ。

 

うまくいかなかったのは

単に私が

サボり症だからではないはずだ。

 

ジョコビッチ選手ほどではないにせよ

自分も

かなりストイックな性格なのだから。

 

 

 

 

 

まだ

半分しか読んでいない

この本には

私がうまく食事を楽しめていない理由を

探るヒントも

たくさんありました。

 

 

 

 

 

 

ジョコビッチ選手が

小麦、パン、乳製品への愛なら

誰にも負けないと

言っているように

 

私だって

幼い頃から

自分を飢えから守ってくれていた

食品を否定するのは

辛いのです。

 

 

新潟の魚沼。

見渡す限りの水田で

オタマジャクシやタニシを見つけて

遊んでいたのに

なんで

流行りの食事法を目にしただけで

炭水化物を制限するなんて

できるでしょうか。

 

 

 

お仏壇から下げたお供え物を

頭が良くなるからと、もらっていたのに

糖分があるなんて理由で

勧められた果物を

なんの感情もなく断れるでしょうか。

 

アレルギーになったからといって

断るのが不愉快でなくなることが

あるでしょうか。

 

 

 

 

アンパンマンで日本語を覚えたほど

繰り返し繰り返し

アンパンマンを見たり読んだり真似したり

していたのに

大きくなったからといって

パンと糖分を控えて

大豆アレルギーを避けることなど

できるでしょうか?

 

ゴマしか残りません。

そのゴマすら、アレルギー症状が

出かかっているのです。

 

 

 

 

 

 

 

私は、

自分の身体が

自然の一部である食材を

拒否していることが悲しくて

 

充分に受け入れることが

できていなかったのです。

 

 

食事療法に断念したのは

サボり癖ではなく

悲しい心が癒されていなかったからです。

 

 

 

 

 

 

 

ジョコヴィッチさんの本は

子ども時代の食生活と

自分を育ててくれた食材への

愛情と感謝に満ちていました。

 

 

「これを食べたらキレる子に育つ」とか

「企業が発ガン性物質を入れている」とか

「手抜き料理には愛情がない」とか。

人の家庭生活や子どもたちの環境、

食事に携わる人々を

一方的に攻撃する言葉に

辟易していた私は

 

 

なんだか

とても安心して

 

続きを読もうと思えたのです。

 

 

 

 

 

 

 

もう一つ気づきがありました。

 

 

私は読みながら

自分が

生まれてこのかた一度も

飢えたことなんてないくせに

 

潜在意識で飢えを恐れていたのです。

 

 

 

赤ちゃんだって

親から教わる前に

はっきりと

飢えを恐れて

自分から動けるのに

 

長いこと

その感覚を忘れて

経験して得たものだけか

自分の知っていることだと

思い込んでいたのです。

 

 

「飽食の時代の子どもだから

食べ物のありがたさがわからない」だとか

 

「戦争中は苦労したけど

あなたたちは平和な時代に生まれましたね」

とか言われながら

 

 

 

自分は飢えを知らないと

思わされてきました。

だけど

赤ちゃんの頃

お腹が空いたら

泣いたのです。

 

大人が知らないはずありません。

本能に植えつけられているのです。

 

いつか死ぬ事実と同じで

恐怖のあまり蓋をして、

分からなくしているのです。

 

 

 

 

 

 

私個人が

産まれたときに

生命を維持するために

プログラムされたこと、

 

 

世界のどこかで

今現在

飢えに晒されている誰かとつながっている

集合意識、

 

 

そして

過去に日本人が飢えていたという

知識、

 

 

そして

エネルギー不足になると

仕事の能率、さらには自分の存在価値までも

失うのではないかという恐れ。

 

 

 

 

これらが

よってたかって

私の目を曇らせて

食品を自分で吟味することから

遠ざけていたのです。

 

 

 

私は 

この、飢えへの恐怖心を

クリアにすることで

自分の身体を

最高にしてくれる食事習慣を

構築できるのではないかと

考えました。

 

 

 

ジョコヴィッチさんの

オープンマインドを使って

やってみようという気になったのです。

 

 

 

 

自分の中にある

恐怖心をもっと繊細に感じとり、

ひもじい思いをしている人には

アンパンマンのように接して、

この世から飢えをなくすことが

人類にできると強く信じて

自分のあらゆることを見直すのです。

 

 

 

 

今の私は

近い将来

特発性過眠症

おさらばできるかもしれないと

本気で思っているのです。

 

 

 

 

 

今朝の食事は

今までと全然違う体験となりました。

 

身体に出来る限り明確に指示を出し

よく噛んで飲み込むようにしました。

 

その間に

自分が

舌を噛むことを恐れていると気づき

 

早く食べろと言われる教育を

受けていたこと、

自分もそれに加担していた反省が

湧き上がるのを知りました。

 

今まで

押し込めて見ないようにしていたのです。

 

 

 

ヴィパッサナ瞑想で呼吸に伴う感覚を

感じるように

味覚や嗅覚を感じつつも

その多くが一過性の刺激で、

中には現実の刺激ではないことも

感じました。

 

 

マインドフルネスや
その他のワークをしている時のように
体感に注目すると
内臓の返事が聴こえる気がしました。

 

内臓の体感の多くは

痛みの反応で

自分が身体に与えられたものが

最適ではないことを示していました。

 

しかし

私の指示に対し

「承知しました」と

言っている気がしたのです。

 

むしろ

「やっと指示がもらえた」と

喜んでいるようにも感じられました。

 

 

食べ終わると

すぐに眠くなり

感情を伴う長い夢を見たのです。

 

私は

「飢えと、世界と、愛情に関する潜在意識を

あなたの言うように書き換えました。」

という

無意識からの返事と信じることにしました。

 

 

 

 

読書ノートつけてみた

読書ノートをつけてみました。

なんだか、便利そうです。

 

 

勉強と同じで

教科書を一度読んでわかったつもりになっても

演習問題を解こうとすると

できないように

 

 

本を読んでいるときは

「ふむふむ」

「そうそう」と思っていても

実際には

前のページを忘れながら

読んでいることがよくわかります。

 

 

何度も読み返す本ほど

「あ。こんなこと書いてあったのに

すっかり忘れてた」と気がつきます。

 

読了後に

読み終わった〜と、スッキリして

そのまま忘れるわけです。

 

 

 

 

よく

大事なところに下線を引いて読むなんて

言いますけれど

本当に心を動かされるときは

特定の文章が重要とは

限らないし

自分の個人的な意見や思い出が

湧き出てくることがあるので

私はノートにしてみました。

 

 

 

 

「ここの章と挿絵の組み合わせは

素晴らしいな」

って感想は

下線が引けませんから。

 

 

 

 

少しのページでも

大切な情報が詰まっている本もあれば

 

いろいろなことを連想させてくれる本もあり

 

 

 

一冊読んでいる間に

心は動き回るので

 

振り回されないで

読み切るにも

良さそうです。

 

 

 

 

ギターのテキストを

ノートを取りながら読むと

勉強って感じで気合が入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギターのテキストの次に読んだのは

本屋さんでオススメになっていた本です。 

 

橋をかける―子供時代の読書の思い出

橋をかける―子供時代の読書の思い出

 

 

美智子様の講和

「橋をかける-子供時代の読書の思い出-」

 

美智子様の講話の原稿の部分は

文字に起こすと短いページ数なのですが

その短い文章が充実していて

こんなに美しい言葉で

読書のことを伝えられるなんて

素晴らしいなと思いました。

 

私自身

読書が好きだから

色々本について記事を書いているけれど

とてもこんなふうには書けなかった。

誰かに読んでもらう文章を書くときや

誰かに話すときに

こんなふうに言えたら

どんなにいいだろうと思いました。

 

しかも

核実験をしたばかりのインドの地が

会場で、

色々な考えの人が集まっているだろうに

ご自身の思い出の中から

たくさんの人が共感することを

どんな立場の人も傷つけることがないように

言葉が選ばれていて

 

「ああ、こういう人もいるかもしれない時に

こんなこと伝えたいときは、

こういうふうに言えばいいのか。」

目から鱗が落ちるところが

たくさんありました。

 

神話の本の思い出で

ヤマトタケルオトタチバナヒメ

お別れの時の場面のことが書いてある場所では

私も自然と涙が出てきて

小学生や中学生の頃に

本を読みながら泣いた記憶が

よみがえりました。

 

 

 

 

 

 

 

すごい自信だよ。こんな簡単なことだったんだ。

ずっとサボっていた

ギターだけど

ここ3日間くらい集中して研究してる。

自分なりに。

 

 

なんか、

「今は下手だけど、なんとなくできる気がする」

って

半信半疑でギターをやり出して

まだできないんだけど

 

先生を見つけて

レッスン申し込んだり

他のところも見学に行ったりして

根拠がないんだけど…

本当に根拠がないんだけど…

音楽で生きてけるな〜って感覚が

強まってきた。

 

 

音楽大学出たわけでもないし

そういう人でも厳しい世界だと

イメージしているんだけど。

 

 

昨日あたりから

「私が受けてたのって

英才教育かもしれないな」って

気がしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は

4歳からヤマハ音楽教室

エレクトーンを習い始めて

家には早くから電子ピアノが置いてあった。

 

始めた時期はまあまあ早かった。

でも、いわゆるすごい人は

赤ちゃんの時からやってるけどね。

 

 

 

ピアノをやる前は

バカの一つ覚えで

一寸法師の童謡を

延々と歌っていたらしい。

 

 

 

 

今まで散々悪口を言ってきた両親だけど

これの教育が

とても良かった。

 

 

 

 

ピアノについて

完全に放置だった。

 

 

 

 

小さい頃から

ピアノを習わせる親=神経質で教育熱心

と思いきや真逆で

ただ、なんとなくやらせただけ。

 

 

他の子たちは

レッスンに母親が付き添ってるのに

ウチは産まれたばかりの妹がいるから

レッスン中は買い物。

 

 

 

週1のレッスンに

宿題があるけど

やったためしなし。

怒られた記憶もゼロ。

そもそも宿題があることを

親が知らない。

 

(つきという曲だけ、練習に付き合ってもらって泣きながらやった覚えあり。両手弾きの4曲目くらい)

 

 

発表会のとき

私だけ1つ年下のクラスの発表に混ぜられ

落ちこぼれ対応されても

全く嫌な顔をしなかった。

 

私自身、それを悔しいこととも思わない。

 

 

本人は

家の電子ピアノを

ぐちゃぐちゃに叩いて遊ぶだけ。

真面目に曲の練習をしてなくても

ひたすら放置。

 

 

 

 

エレクトーンをやり始めた時から

落ちこぼれ状態が始まっていたので

「自分だけ弾けない」が

恥ずかしいことだという概念が構築されない。

 

弾くどころか

みんなと同じページを開くのができない。

(小学校1年生の担任を経験した身としては、年齢相応のことだと思ってますけどね。)

 

 

羞恥心が芽生える前から

エレクトーン教室で落ちこぼれていた。

 

それでも

楽しかった覚えはある。

 

 

 

 

 

 

 

私が幼少期に体験した音楽教育の特徴は

 

鍵盤楽器、習っていた

*「ドミソ〜♪」とか歌う音感レッスン受けた

*鍵盤めちゃくちゃに叩いて遊ぶだけだった

*劣等感がない

 

最初の2つは

珍しくもないんだけど

3つ目と4つ目の

自分勝手に鍵盤で遊んでた時間が長かったのと

弾けることにこだわらないってのが

 

ひょっとしたら

すごく貴重で、

すごく力をためていて、

すごく得がたい経験かもしれない。

やばいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分はずっと

音楽の才能って大雑把に1つで、

クラスの中で合唱コンクールの伴奏してたような子が、たくさん集まって、その中でもものすごくうまい子が、上から順番に音楽家になれるんだと思ってたの。

絶対音感ってのがあって、何でもすぐに耳コピできる人が音楽で仕事をしたり作曲家になったりバンドをしたりできるんだと思ってたの。

でも、

全く違うってことがわかったの。

 

 

それは、違ってたの。

 

 

ギターをやって、

音感とか、音楽理論を勉強したら

 

音楽の能力がすごく

幅広くて

いろんな種類があるんだってことがわかったの。

 

 

 

音楽の力にも

色々あるんだってわかったの。

 

 

 

 

それで

ヤマハの先生になる力と

学校の音楽の先生になる力と

ピアニストになる力と

音楽愛好家になる力と

ロックンローラーになる力と

歌手になる力と

バイオリストになる力と

オーボエ奏者になる力と

シンバル奏者になる力と

オーケストラ指揮者になる力とで…

 

 

 

音感の種類も、リズム感の種類も、

演奏技術の種類も、

水準も

 

仕事の内容も

全然違うってことがよくわかって

 

 

音楽は音楽でも

たくさんあるって

つくづく思ったの。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、

私は

ずっと

0か100かでしか

能力とか才能ってものを捉えてなくて

 

何でも

「もっとすごい人がいる」と思うと

諦めてきたんだけど

 

 

 

 

昨日

あれ?

私、ひょっとして

貴重?

 

って思えたの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音感とかリズム感とか、

演奏とか鑑賞とか創作とか、

芸術一般について

親しんできた経験量に、

 

偏りが

ほとんどないんですよ。

 

 

 

 

 

例えば

音感だったら

 

小さい頃に

ピアノ習ってると

絶対音感がついて、

それが鋭敏過ぎると

移調された曲が別物に聞こえちゃったりして

逆に不便なことがあるんですが

自閉症の子が音楽聴いて逃げちゃうのは音の大きさもあるけど、そういうのもある)

 

 

自分は

散々、鍵盤を叩いて

カエルの歌やら習った歌を移調する遊びを

しているし

不協和音もお気に入り和音も鳴らしたから

絶対音感に融通がきくんです。

相対音感も育っているんです。

 

 

 

 

 

リズム感も、

親にひっぱたかれながら

緊張状態でピアノを習ってる人と違って

悠々自適に遊んでいるから

悪くないんです。

 

メロディーも

童謡が好きだったから

わりと質のいいメロディーが

ダウンロードされているんです。

 

 

 

 

 

ハーモニーにも

色々な感じ方があって

ギターだけをしている人は

コードを覚えるイメージかもしれないけど

 

実は

楽器の種類によって

同じ音でも微妙に

音の高さや音程に

違いがあるんですよ。

だから、

同じスケールやコードを

別の楽器で一緒に弾いても

それだけでは

完全に同じにはならないらしいんですね。

 

 

やはり

耳で聴いて

その場で合わせないと

自然なハーモニーにはならない。

 

 

 

 

6本の弦を美しく鳴らすハーモニーと

違う種類の楽器と和音を鳴らすハーモニーと

合唱で作るハーモニーは

 

作り方が違うんですね。

 

 

合わせるには

楽器ごとに違った技術が必要ですが

まずは聞き取れないと話になりません。

 

聴き取るにも慣れが必要で

 

楽経験や担当楽器によって

得意不得意があると思います。

 

 

 

 

 

 

 

人間の経験できることには限りがあるから

 

楽経験が長かったり

プロの演奏家だったり

教える立場にある人でも

 

何かが徹底的に欠けてたり

飛び抜けた何かだけで他を補ってたりして

 

 

バランスよく色々を感じられる人間は

稀なのでは?

と考えるようになりました。

 

 

 

 

演奏技術や知識は

後付けできるけど。

 

聴力、聴覚、音感、リズム感、美的感性

ハーモニー感性、楽しんで歌った記憶…

 

あとから足すのが大変なものもある。

 

 

 

 

 

5年生から2年間ピアノを教えてくれた先生が

「音楽の歴史と音楽理論の一般常識は

ピアノを習っているなら覚えておくべき」

 

という考えの人で

 

作家家の名前や代表作、異名、活躍した時代

調性のこと

ドイツ語読みの音名

などを暗記させられた。

 

練習曲も、今思うと意図して

吟味されていた。

 

 

 

当時は何のことやら

分からなかったが

 

 

 

「単に難しい曲を弾けるようになるだけが、

ピアノではない」

というメッセージは

今の私まで影響している。

 

 

 

 

 

 

 

回数は決して多くないけど

バレエや、歌舞伎を観たし

 

リズム感ってことで言えば馬術もやった。

 

音楽のモチーフになる文学も

関心がゼロではない。

 

宗教音楽は詳しくないけど

スピリチュアルに関心ある分

背景の宗教観そのものは

全くわからないでもない。

 

 

 

最近だと

絵画や写真や、映像美術や

DTMに注意を向けている。

 

 

 

 

 

自分、幅広いなあ。

 

 

自分じゃなくて

音楽が幅広いのかもしれないが。

 

 

 

民族音楽とか

メロディーのないケチャみたいなのも

楽しいと思って聴ける。

 

 

 

 

 

謡曲に詳しくないし

カラオケの持ち歌も少ないけれど

 

そういう

一般的な

音楽好きな人のイメージに引きずられることが

なくなって

音楽やってる人からどう思われるかも

気にならなくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

作曲の知識は

これから身につけるけど

そもそも完成した音楽

頭に降りてくるし

 

 

 

「作りたい」「発表したい」ってより

「遺したい」とか

「残る形にしときたい」って感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

大半の音楽愛好家と

感性違うと思う。

 

 

 

 

 

 

 

でも、それでいいんだと思う。

 

 

 

 

 

すごく自信がつく。

 

 

 

 

今までに経験したことのない自信。

 

 

 

 

 

自分の人生

くだらないと思ってたけど

 

 

 

 

一寸法師歌い時代から

エレクトーン時代から

ピアノ時代から

金管バンド、トロンボーン時代から

吹奏楽、バスチューバ時代から

舞台美術、聖歌時代から

カラオケ、馬術時代から

学級で音楽の授業とかリトミックやる時代から

絵画収集、DTM、ギター時代まで

 

 

 

途切れることなく経験を積めたことに

もう感謝しかない。

 

 

 

 

 

 

 

作曲を仕事にするときに必要な

バランス感覚が

備わるように

綺麗に

采配されていると思う。

 

 

 

 

少年院や学校で働いて

他人の個性を掴む訓練を積んだことも

 

作曲を依頼してくれる

バンドや歌手の

個性に合わせて曲を作るのに

役立てられると思う。

 

 

 

 

曲のインスピレーションは

これまでどおり

不思議な現象によって

降りてくると思う。

 

 

 

 

自然の中で遊んだことも

芸術に心が向かっていることも

全部創作に繋がると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

ギターの取っかかりが

少し大変だったけど。

 

音への感性とか

捉え方が広いからこそ

 

ギターしかやってない人よりも

和音とか、響きについて

イメージが広いし、

 

音の読み方が

クラシックの読み方で

イタリア語か

ドイツ語、日本語で

身についてるから

英語読みに

慣れるまで時間がかかった。

 

吹奏楽とか劇とか映像美術とか

全部を含めて

私の中では音楽だから

バンド活動だけしてる人よりも

目標が漠然としてる。

 

 

 

 

 

全部

裏を返せば

いいことだと思う。

 

 

 

 

まして

作曲をするなら

めっちゃいいと思ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

今まで

弱点のように感じられたことが

全部ひっくり返った感じ!

 

今できないことは

大部分が、

練習で何とかなることしか

残ってない!

 

 

 

 

 

ものすごく不思議。

 

こんなの、

将来役に立つと思ってやったことなんか

1つもないのに

 

全部

これから作曲するために

操作されていた気しかしない。

 

 

新しい4月気分になった。

お庭を作る工事中です。

カーポートの柱を建てるために

地面に穴を掘ったところを

板で塞いであるのですが

 

近所の小さい子が

珍しがって近寄ると危ないので

ご近所にピンポンして

伝えてきました。

 

なぜか

そんな時に限って

お友だちも遊びに来てて

6人くらい

隣の庭でボール遊びを始めまして。

 

窓を開けて様子を伺いながら

日中のんびり過ごしていました。

 

近づいたらダメだよって

子どもたちに言おうか迷ったけど

そう言われると

余計にやりたくなるものだし

 

子どもも人数がたくさんあると

危ないよって誰かが

注意喚起し合うものなので

黙って部屋の中から見てました。

 

 

誰も、ウチの庭には入りませんでした!

お利口さんたち!

 

 

 

 

 

 

 

今日から主人は

新しい勤務地に赴いて行きました。

 

自分はゆっくり

ギターをいじりながら

テキストとにらめっこして

音楽理論と音楽用語の勉強をしました。

 

融資の説明会も

申し込めたけれど

お金のことならば

まずは

すでに支払った授業料の元を取るように

熱心に勉強するのが大切。

 

決して安くはないギターレッスン代。

練習するの大変で

やる気が起きなかったけれど

家計を任されたのだから

真剣にやるぞ。

 

昨日の晩から真剣にテキストを読んでます。

 

 

 

 

いい一日になりました。

今年度もよろしくお願いします。

融資の話に始めて興味が湧いた

ZENは花粉症なので

いよいよ本格的に辛くなってきました。

 

冬の間の眠気は

気持ちのダウンロードだったけど

今週のは、

花粉症による体力の消耗が原因の眠気です。

 

そういうの、

なんとなく

違いがわかるようになってきました。

 

 

 

でもね

スピリチュアルな眠気=いい眠気

体力消耗した後の眠気=悪い眠気

 

じゃなくて

 

どっちも自分に必要な眠気だって思って

受け取れるようになりました。

 

 

 

成長したなぁ…

 

 

 

 

 

昨日の記事にも書きましたが

主人が私に資産運用を一任してくれたので

だからって今日やることが

変わるわけじゃないんだけど

なんとなく気持ちがのびのびしています。

 

独身の頃と同じ方向に

視点が定まる感じ。

 

 

さっそくですが

悪くなさそうな融資先を見つけたので

するかしないかは別としても

説明を聞いてみようと思います。

 

説明を聞くのは

主人もオッケーらしいので。

 

 

会社の人が

融資を募集するときに

何をどう説明するか聞いたら

会社を安定させるのにどういうことが大事か

わかるかもしれないから。

 

 

 

 

 

 

 

住宅ローン分の貯蓄を作りにいく!と主人に言ってみた

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主人とスープカレーを食べに行きました。

 

スープカレーといえば

懐かしいですが

稚内旅行へ行った時に

立ち寄った札幌で主人と食べて、

 

その際

学校の仕事を休みたいと打ち明けたために

メガネを投げられ

(…そんな乱暴じゃないですが…)

険悪になったのでした。

 

 

ところが

後日、

休職はスムーズに

取得できたのでした。

 

 

 

スープカレーはそういうメニューなので

何かここで

あの時のケジメをつけてしかるべきだと

思ったものですから

 

店に向かって歩きながら

今度はどんなことを言ってやろうかと

悶々としておりました。

 

 

 

音楽や占いや絵画に

私がお金を使っているのを

主人が気にしていると

電車の中で知り

 

反対に私は

主人がよくわかってもいないのに

不要なお金の心配をするのが

煩わしいと思っていました。

 

 

随分前から

思っていたのですが

主人の貧乏症が厄介で

貯金を有効に使えません。

 

 

 

 

「私に家計を任しているつもりらしいが、

全然意気地が足りていない。

通帳記帳、レシート計算

生活費をおろすこと、

そういうみみっちい雑用ではなくて

財産の管理と運用まるごと私にやらせてみろ。

それだけの度胸があったら

5年でローンを返してやる。」

 

そのように言うと

 

意外にもあっさりと

主人は納得して

握手してくれました。

 

 

 

やっぱり

主人は

現実的な性格ではなくて

大雑把で、

ただなんとなく

ローンの返済=大変

って思い込んでいたのでしょう。

 

 

それにしても

きちんと計算して

貯蓄残高はっきり見せて

安心させてあげようと思っていたのに、

 

私に任せれば全額返すって

言い切っただけで

安心するなんて。

 

騙されやすいというか、

心配なというか、

幸せな人ですね。

 

 

さて、

やれ1億円だの

シンガーソングライターだの

画商だのと

好き放題言ってきましたが

まずは自分たちの住宅ローン3000万円を

返済するのを目標にして

シンプルにやっていこうと思います。

 

ただ

主人は繰り上げ返済したいとか

言ってるんですが

住宅ローンは

金利も安いし

借りられるだけ借りっぱなして

手元の貯金を増やして

運用したいと私は思っています。

 

 

熱っぽくて辛い体調でした

一日中、眠いです。

 

頭がクラクラして

寝てから目覚めるまでが長い。

 

 

うーん。

この感じ、働いていた頃と同じ

久しぶり。

 

家でゆっくりしてからは

こういうこと減ってきたと思ったのに。

自分のこと甘やかしても

まだ熱っぽい感じ

定期的に起こるんだな〜と。

 

自信なくしかけてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

移動する車の中で

「熱っぽい」

 

「身体を大切にしているから、

悪い状態ではなくて

必要なことと思う。」

 

と夫に伝えました。

 

 

「仕事することになっても、

この分だと

外に出るのが辛いかもしれない」と。

 

 

 

 

 

 

車の席がいつもと違うから

酔ったのだろうか、とか

 

単純に身体を冷やしたんだろうか、とか

 

脱水症状だろうか、とか。

 

 

 

 

 

色々考えました。

 

この2日間、

アレルギーの薬を飲み忘れていて

そのせいなのかな。

 

あー…

そうかもな。

 

 

 

 

 

 

 

体感のワークっていう、

自分の身体の感覚に注意を向けるのを

ヴィパッサナ瞑想とは別に

やろうとしています。

 

 

心の中からの

メッセージとしての

身体の感覚を受け取れるようになろうと

思ってます。

 

でも、

物理的なアレルギーとか

風邪とか

栄養不足とかと

紛らわしくて。

 

 

花粉症でも腰痛でも

なんでもスピリチュアルって

言う人もいるけど

普通にご飯食べたりが

ままならなければ

心がどうとかじゃなくて

普通に体調を管理してから

やった方がいいと

私は思ってるので。

 

 

ご飯を食べて、

お水を飲んで、

薬も飲んで、

眠いのは、寝させてもらうとして。

 

それから

スピリチュアルかぶれも

やろうと思います。