胡蝶のオラクル

日々いろいろな世界から入ってくるチャネリングを書いてます

ツインレイに会って思ったこと

ツインレイっていう概念には

振り回された…

 

「この人はそうなのか?」みたいな感じで。

 

 

おんなじ魂なんて

絶対に興味がある。

しかも

魂が覚醒してきたら会えるとか

なんかかっこいい感じだ。

しかもどういうわけだか

セックスすると気持ちいいとか?

低次元なんだか高次元なんだかわからん。

いやえらく低次元だな。

なんだこれ。

 

ツインレイについて書いてある記事で

「なるほど。それなら魂が成長するのに

合理的と言える。」と感じるものが

あまりなくて

 

文字情報から調べても

さっぱりわからなかったから

会ってみたかった。

 

 

 

解明したいことは

たくさんあった。

 

 

 

まず

ツインレイは

魂がある程度まで覚醒してから

会えると書いてあるのに

ツインレイと会った後に

なんで修行がハードになるのかが

分からなかった。

自分と同じ魂だから

自分のいいところも悪いところも

見せつけられて苦しむというのは

納得がいったけど

だったら、そのような状態で

なぜ魂がある程度まで覚醒していたと

言えるのかが

わからなかった。

 

 

それと、

ツインレイと繋がって

2人の魂が一体化した時に

輪廻転生が終わるとか、

ツインレイでない人と

平穏な結婚生活をズルズル送っていると

また来世もやり直しになるとか、

 

そんなん聞いたことねぇなって思った。

 

ツインレイは誰にでもいるそうだけど、

それなら

ブッダにも、イエスにも

ツインレイがいたんだとして

彼らのツインレイ誰だよって感じだし。

 

もちろん、史実に残ってないパートナーは

いたかもしれないけど

ツインレイの魂は2人とも

同じくらいに覚醒していくって

設定らしいんですよね。

 

となると、

エスのツインレイは

エスと同等レベルの女ということに。

すると、

聖女のマグダラのマリアでも

まだ弱いということになりませんか。

 

密教では

パートナーとの繋がりによって

宇宙と繋がるって考えもあるようだけど

それに該当しそうな

アセンデットマスターは

ほんの一部であって

だいたい多くの聖人は

独身というか、

ツインレイらしき人物とセットには

なってないですよね。

仲間はいるけど。

 

 

それと

ツインレイと出会うことが

魂の修行の集大成だとしたら

その後、どうなるのかが

意味不明だと思った。

 

ツインレイは

魂が覚醒してから出会うので

若いうちだと出会えなくて

どちらかが結婚してから

出会うこともあるってことらしいんだけど

その理論を私の感覚で当てはめると

20代30代40代で

出会う理由がわからない。

輪廻転生から抜ける

集大成の学びなんて

死ぬ直前の仕上げでいいのではないかなと。

 

精神的な繋がりから学ぶことに

年齢は関係ないし。

 

えらくラブラブだとか

セックスの相性を持ち出すけど、

解脱したら

もう魂は肉体持たなくなるんだけど

わかってんのかな…

この人むしろ解脱しないで来世も身体に入って遊びたがってるように思えるけど…ツインレイと会わない方がいいんじゃね?

みたいに感じることも多かった。

 

 

ツインレイって概念は

私が

スピリチュアルについて

「これは鵜呑みにしない方がいいな」と

感じることの多いものでもあった。

 

いろいろ調べてきたけど

ついに、

怪しいものを見つけたぞ!

と思った。

 

 

 

 

 

 

でも

やっぱし

興味はあった。

 

別に不倫したいわけじゃないけど

知的好奇心が抑えられない性分だから

そんな人いるなら

会ってみたいなあ、と。

 

 

 

そこで

守護霊?ハイヤーセルフ?のようなものに

宣言とお願いをしてみた。

 

●ツインレイの学び面白そう。今世中にやらせて。

●私と旦那と我々の結婚を祝福した人に悲しい思いをさせるカリキュラムは不採用。私は魂の成長を拒むから心しておくように。

●不倫以外の方法で魂成長するように、はからって。

●旦那がツインレイでもツインレイじゃなくても、それは関係なく我々は幸せに暮らすんだから、邪魔するな。

 

 

 

私は、ハイヤーセルフと会話するときに

こういうふうに成長させろとか、

こっちに導けとか

言います。

 

この時は

すごく注文をつけました。

とにかく、ツインレイには

会いたかったんですよね。

好奇心があるから。

 

でも、ツインレイについて書いてあるブログにはほとんど不倫を肯定するようなのがあるから

「他人のことは知ったこっちゃないけど、うちの家庭は魂の修行の犠牲にしない」

「来世も輪廻してやり直しになっても構わないから、今世は今のとおり平穏がいい」

と強く念じると

通じたらしく、

しばらくすると

ツインレイは現れた。

 

 

 

 

すごく不思議な経験だった。

会う前から

自分の勉強になることは

なんとなく感じていたけど、

何が起きるのかよくわからない感覚で

楽しみだけど、

普通みたいな

文章にうまくできない感覚で

そもそも会う前は

ツインレイだってわからないから

単に、人と会う約束あるけど

楽しみみたいな感じ。

 

とにかく落ち着いた。

喋り終わる前から

内容がわかるとか、

話が通じるって言うのが

面白かったし

それと

私には、ダーっと喋り続けちゃう癖が

あるんだけど

いつもは

喋ってる間、

伝わらない感覚があって、

どうせこれだけ説明してもわかってもらえないんだろうなって諦めがあって、だけど義理で最後まで言うみたいな気分があるんだけど

彼と話してる時は

「こんなに喋らなくても伝わってるのに、なんで自分長々と喋ってんだろう。返事聞く時間減るから終わりたい」みたいな感じだった。だけど、話し方の癖だからすぐには直らないけど。

 

目につくものが同じ。

変な人だと思われるのが怖くて表現するのを抑えている感覚が、共有できて、というか、向こうが表現してくれて、そうですねえって追随するだけで、自分の感性をそのまま受け入れたような心地いい感じがした。心地よかった。

 

恋愛とかで、例えばいじめられたとか、親とうまくいかなかったとか、仕事が辛いとか、夢のために頑張ってるとか、そういうのを共感されて癒されることって珍しくもなくよくあることだと思うんだけど、そんなんじゃないくらいもっと深いところの寂しい感じ…

小さい頃の、夕焼け見たりとか、お腹すいたとか、寒くなったりしたとかの切ない感じとか、火を見たりとか、深い水の底を見たり、いつか自分もお母さんも死ぬって初めて思いついた時のすっごい怖かった感じが癒される。

お母さんに、怖がって、安心させてもらえるんだけど、それが一時的でまたなんかあったらまた怖いみたいな、そんなもう癒されるわけないから諦めて、本当はまだ怖いんだけど、気にしてたら生活できないから考えてないことにしてたのまで全部癒されて、生きてきた間に起きた全部の思い出したくないことが一回リセットされて流された感じ。

小さい頃、お母さんを独り占めしてた時間にもう戻ることはできないんだけど、あれよりももっと安心できる感じ、自分が経験したことないくらい想像したこともなかったくらい安心できる感じがあって、

歩きながら「いつか死んだら、こんなに落ちつくところに帰れるんだ」って思った。

死んで思考がなくなって意識だけ残るとしたら、今自分が経験してるモヤモヤしたり、ちょっと悲しい感じが残って、心で鼓舞してテンション上げてる分がなくなるんだとしたら、どうなるんだろうって思っていたけど、こんなに落ち着く世界があるなら、それがわりと長時間、永遠くらい続いても全然いいやと思ったし、暇にもならなそうだって思った。

死ぬときは、この時間を思い出したら怖さが減るだろうなあって思った。

これが一番大きな経験だった。

 

他にも、人間としての彼も面白かった。

彼に会ったことで、私の自己理解は急進した。今まで他の人に言われても全然パッとしなかったこととか、別にそこは変わったところでもなくない?って思っていたことが、自分以外の人の行動として見せられると「あ。こんなふうに見えるんだ」って思った。

素晴らしい作品を継続して作ってるのに、全然、お金に変えようとか、人に渡そうとしないところとか、でも自信がないと作れない作品だったり。そういう芸術家として独特のクセがあったり、礼儀正しくて優しそうでファンがいるのに、そことの交流をしようとしないところとか、期待しないところとか、向けられてるのが好意的なものでも、なんとも感じないところがあったり、とても淡々としている。

他の人からもらう評価に価値を感じていないというか、自分の思うことの実現が全てで、勝手にしてる感じ。

ああ、私ってこういうふうに見えるんだなっていうのがよくわかって、別にそれがわかったのって初めてじゃないから、今までも気づいてたんだけど、悪いことだと思ってたから、逆に努めようとしていた。だけど、そういう性質が全部受け入れられて、むしろこのままでいいというか、この人と同じような性質の何者かに帰ろうと思った。

 

そして、何にもしなくてもいいんだってことがすごく腑に落ちた。というのも、彼が一旗あげて有名人になったり、今以上にいい暮らしをしてくれなくても、充分に価値があるし、彼のすごいところを彼自身は全くそう感じていないし、そういう諸々を踏まえたとき、私もこのくらいで充分だろうって思った。そして、自分を素通りしていったいろんな人からの賞賛が、今までの私にとってはそんなに嬉しくもなくて当たり前だったこと、彼と同じで自分のいいところが見えていなかったこと、だけどそれも含めて許せてしまうことや面白さや、劣等感ぶってる中にかなり厳重に自信がある変な感じを生んでいることがわかった。それで、このままでいいやって思った。

それと、天国に行く方法もわかった。それまでは、いいことをした立派な人が天国に迎えられるんだと思っていたけど、そうじゃなくて、こういう感覚でいる間、その人がいる場所が安らかなんだと思った。

 

ツインレイに会った時の感覚

スピリチュアルブログを読み漁っていた頃

ツインレイっていうのを見つけて知って。

変な記事もあるから

全部は鵜呑みにしないまでも、

もし自分と同じ魂がいるなら

会ってみたいなあと思って

お願いしてたら

しばらくしてから

会えました。

 

その時の経緯は省きますが、

会ったらどんな感じだったのか

経験したことない人にもわかるように

例えてみます。

一番近いのは

 

 

すっごくでかい会社に入社した人が

新人研修で

めっちゃ気が合う似たタイプの同僚いて、

研修終わってから

全然違う部署と勤務地に配属されて

存在すら忘れてて、

長年その会社で働いてたけど

会うことがなくて

だけど

たまたま出張した先で

遭遇して

「ああ〜!!!!」

「ああ〜!!!!」

「今、何を…?」

「ずっと開発にいたんですけど、

先月から営業にまわされて…そちらは…」

「そうですか。ここ数年は経理を…」

「お疲れ様ですっ(`_´)ゞ」

「お疲れ様ですっ(`_´)ゞ」

もっと話したい気もするけど

お互い忙しそうだし

邪魔したら悪いから

2人とも自分のやることに戻る

 

 

みたいな感じです。

そんな感じです。

 

 

 

だから、

ツインレイなのと恋愛感情は

あんまし関係ないと思う。

親密ではあるけど。

 

出会って恋愛したいとしたら

それって

相手の人生と自分の人生を

影響させ合いたいってことじゃないですか。

でも

そういうふうには

ならないというか。

「あいつ気が合うから営業に誘おう」

とか

ならないじゃないですか。

似た人間は2人も同じ部署に要らないし。

 

それより

「そっか〜。あいつ経理にいたのか…。」

て終わるというか。

 

 

でも

会ったことで

なんとなく繋がりを感じて

日々の安心感が増すというか

会社全体で

チーム性を感じると思うんですよね。

そういうことあった後って。

 

そんな感じです。

 

 

 

 

「ああ〜!!!」

「ああ〜!!!」

「どんなことをされてますか?」

「ずっと堅めの家庭と職場にいたんですけど、今フリーダムな主婦です…そちらは?」

「そうですか。ここ数年趣味に生きる独身の会社員です」

「お疲れ様ですっ(`_´)ゞ」

「お疲れ様ですっ(`_´)ゞ」

もっと話したい気もするけど

どうせ死んだ後で魂と記憶が融合するし

どんな人生送ってるのか

聞かなくてもだいたい分かるから

自分の次の予定に戻る。

 

 

 

こんなのと

不倫してもなんの建設的な経験も

得なさそうである。

 

なので、

ツインレイと恋愛しているとしたら

多分、それはツインレイではなくて

普通にご縁のあった人だと思う。

 

 

ツインレイの「会った時に直感でわかる」は

 

「この人が運命の人だわ!」じゃなくて

 

「あれー⁈   なんで今日いるんですか?」

に近かった。

 

別れた後の感じも

「趣味に生きる独身会社員部門も大変だって聞くしなぁ…あいつもよくやってるよな。」

に近かった。

 

 

自分が自分のままでいいんだってことを

理解するのに役立つ経験になりました。

向こうは私と同じ魂の持ち主なので、

すごく不細工ってわけじゃないけど野暮ったくてイケメンの雰囲気ではなく、一応清潔感があり表情はおおらかで礼儀正しくて丁寧だけど、スマートさが なくて総じて人畜無害な感じです。けっこう頭の回転が速くて学歴からしたら勉強もできる人のはずなんですが、生活面が頼りないというか間抜けな感じで一見すると頭が悪そうな雰囲気です。それと、ちょっとというか、かなり独特の感性の持ち主でした。私と同じ感性と言っても差し支えないくらい似た感覚を持っていて、喋る前から内容が分かり、全部を賛同できました。そして趣味活動のために毎週出かけていて自分の目的のための行動力がすごかった。

生活面や作業面ではパニックになるけれど大局的な視野では冷静で、ちょこっとサイコパス気味なんだけど彼の場合(私もだけど)人との距離感の遠さをむしろ人のために役立てているようでした。割り切ることができないと踏み込めない世界でも頼りにされていて、実際的、中立的、冷静に助言して人助けできる感じです。

 

面白かったのは、私が絶対やりたくてやろうとしても断念したことを彼はすでにやっていて(特別支援に関しての発信。素人と思えない発信力をもっていた。専門分野でないのに本質をついたことを言う)、私がやっていること(ギターの弾き語り)は彼の方はやりたいのに絶対できないらしかった。生まれ変わったらギターの弾き語りができるようになりたいんだそうです。

つまり、魂の性質というか、感性とか物の好みとか行動基準や嗜好性は同じだけれど、能力や、人生の岐路で何を決断して体験を積んできたのかは、2人の間で分配されているらしかった。

 

つまり、同じプレーヤーが、違うコピー能力を利用して違う面でカービィをプレイしている感じでしょうか。

 

過去世の自分も

おんなじような感じだったんだと思います。

 

あと、あの人が一卵性双生児だって言われたら信じます。年齢が違うので、絶対違いますが。

あ。ちなみに、顔というか、表情が同じです。

最近の私は満足していて書くことがない

SHOWROOMの配信

自分の中ではとてもうまくいっている。

自分が、やってて気持ちいい。

 

来てる人が

どんな人なのか

アバターとニックネームしかわからないけど

自分の配信時間の合間に来てくれてる人や

別のルームの人を応援してるけど

私のところにも顔を出してくれる人が

たくさんいるみたいです。

 

やり始めの頃は

行き当たりばったりで

朗読本を選んでいたけれど

聖書と学習指導要領と決めたら

集中しやすいので

長時間配信できるから

ずっと来てくれる人や

通りすがりの人、

両方とも増えた。

 

配信時間がバラバラでも

毎日来てくれる人が

とてもありがたい。

 

ただ家にいるだけの主婦だけど

ちょっとでも

そうやって誰かに楽しんでもらえるの

嬉しいです。

 

 

一番嬉しいのは

これを始めてから

このままじゃダメだって気持ちが

全くなくなって

自分の役割は

これでいいんだって

安心感を持てるようになったこと。

 

ものすごい充実感で

配信したからといって

体力的な意味で元気になるとか

家事ができるとか

何かいいことがあるとか

臨時収入があるとか…

いろんな

自己啓発的なものやスピリチュアル的な

何かの効用で言われる

あらゆることは

特に起きてないけど

 

そういうの関心ないくらい

配信した後で

ああ〜いい一日だったってなる。

 

 

ブログも

好きだけど。

 

 

 

 

就職活動も

ちょびっとしたけど

もうほとんどどうでもよくなって、

 

パワーストーン屋さんで働くことや

鉱物を買い集めて可愛がるよりも

あったかくなったら

自分で水晶を掘りに行きたいなあ〜とか

そういう気分だし。

 

 

資格の勉強なんて

完全に放棄して

自分が本当にやりたいこととして

兵法とか馬術書を

配信してる方が

いいやって思うようになった。

なんか、

その方が人様の役に立ってるというか

楽しいし、

他の人と繋がりが感じられるし

一緒に勉強してくれる人が

仲間みたいに感じる。

 

 

在宅ワークの会社も応募してみたけど

正直、

家で何かやるのすら未だにめんどくさいから

どうせなんかやるなら

自分のしたいことやろうと思った。

 

今やってることは

はっきり言って

毎日スマホをいじってるだけなんだけど

それがとても幸せで

なんでもっと早くやらなかったんだろう

と思う。

 

スマホいじり自体は

前からやってるけど

読書を配信するのを

もっと早くやればよかった。

 

 

他の、もっと読書家の人が

いっぱいいるし

本をお勧めする系のブログで

すごい人もたくさんいるから

自分がやっても、って思ってた。

その人と私は

別なのに

人と自分を比べて

勝手に遠慮してたところがあったから

それは必要なかったんだなあって

思った。

 

誰か、

面白いことを

上手にやれそうな人がいるからって

私が面白いことを

下手にやっちゃいけない決まりは

ないことに気づいた。

自分にとってはこれが今の仕事。お金入らないけど。

預言カフェの預言と、

自分が瞑想して受け取ったメッセージ、

単純に今の自分の生活の状況

全部を総合して

次に何をしようか、と。

 

そしたら

目標は

SHOWROOMの配信で

自分の気に入った本を

読もうってことになった。

 

 

本は

このブログでも

紹介したりしていて

好きだし

 

声に出して読むのも好き。

 

朗読より

グダグダ読む感じだけど。

そういうのを

子供の頃からやっていた。

 

 

 

年末から

すでにルーム配信はしていたけれど

お試しといった感じで

焦点が定まらないままだった。

 

メッセージや預言を受けて

はっきりと、

古典と、教育関連の本を読むと

決めて

徹底的に

丸々一冊読みきろうと決めた。

 

 

学習指導要領と聖書を読み始めた。

毎回来てくれている人もいて、

とても嬉しい。

お正月に本屋さんに行き

どっさりと買い込んだ。

 

これが何になるかはわからないけど

自分がとても落ち着いていってて

これを始める前よりも

ずうっと

自分が好きになっているのがわかる。

 

荒井ゆうの読書ルーム、として

配信している。

 

 

そうそう。

今日、部分日蝕が見えました。

人生で2回目でした。

お月さまみたいでした。

2018年のふりかえり

2018年の私の運勢は

1年前に引いたタロット占いだと

教皇

日本昔ばなしタロットでは乙姫様の

カードがあらわすような年で、

振り返ってみると

神秘的なメッセージや

文字通り乙姫様とのチャネリング

繋がったりとか…。

肉体の目では見えない存在と

たくさん繋がれた。

 

 

一方で

そういうの…

慣れてくるうちに、

 

だんだんチャネリングが雑になるというか…。

例えば

1時間くらいかけて

丁寧に瞑想した後に、やっと繋がるのを

最初は辛抱してやってたのに

 

待ちきれずに

ちょこっと瞑想しただけで

脳裏や瞼の裏に

なんかが見えたのを

早とちりして

自分の気持ちとか思い込みで

解釈したりとか

 

そういう

適当にやるくせも

最後の方、出てきて。

 

あと

神さまっぽいのと

繋がったかと思いきや

どうやら

後から確かめたら

神さまではなくて

生きてる人の念らしかったりとか。

何と繋がってるのか

見分ける力がないのに

天使とかすごい霊だと

早とちりしたこともあった。

 

 

 

神さまではないと

完全には言い切れないときでも、

その情報の全部が合ってない…

例えば

仕事に復帰できて

3月まで働けるって

チャネリングでは言われたのに

実際の私は

ひと月もたずにギブアップしたとか、

そういうこともあったりして。

 

なんか

当たり前だけど

チャネリングで教わることも

万能ではないというか。

そういうことも

しみじみ勉強になった。

 

 

 

色々と

反省すると

瞼の裏に

見えた光景は

意外とあってるのに

自分が考察して解釈した部分が

間違ってるみたいなのがよくあって。

 

 

 

もしかしたら、

 

チャネリングで得た情報を

自分の思考ぐせに合致させて

都合のいいように

捻じ曲げないで、

ありのままに

表現することの方が

 

チャネリングをつなげること

そのこと自体よりも

もっと難しいんじゃないかなって思った。

 

レーニングしないと。

 

 

 

その

レーニングって

仏教で言うところの

「正見(しょうけん)」というか、

要するに

五感で得たことを

ありのままに受け取ることの

第六感バージョンかなって

思うんだけど

 

それって

どう考えても

五感でやるよりも

六感でやる方が

難しいし

 

五感の情報は

他の人と共有できるから

「それ荒井さんの偏見ですよ」とか

教えてもらえるけど

第六感の情報(脳裏の映像や頭の中の声)は

他の人に

見えたり聞こえたりしないんだから

間違えても

人から教えてもらえないから

レーニングしにくいじゃないですか。

 

なんか

それすごい難しいなって思った。

 

 

なんか

そんなんするくらいだったら

別に

チャネリングしなくても

普通に暮らして

試行錯誤した方が

いろんなことわかる気もするし

 

なんていうか

大変そうだなってわかってから

すごい面倒くさくなって

 

最初は

チャネリングを自分でできたら

お金かからなくてラッキーって思ったけど

今は

人にやってもらう方が

労力がいらないやみたいな

気持ちになってきた。

 

 

 

 

 

人の口からだろうと

自分で直接受け取ろうと

チャネリングでなんか言われても

自分で決めないといけないことは

自分で選ばなければならないし

生活作っていかないといけないのも

自分なんだし

 

そう思うと

チャネリングなんて

できてもできなくても

あんまし変わらないんだけど

 

 

でも私は

2018年の体験をとおして

自分の肉体の外に感情があることとか

魂と心がそれぞれあることとか

顕在意識以外の心理があることとか

体験できたせいで

すごく

大局的に生活を眺められるようになって

毎日落ち着いてて

幸せだと感じる時間が

圧倒的に増えたから

大変よい年であったとする。

 

デミタスカップを買いました。

 

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ハンドルが板状になっていて

指が入らないタイプの

小さなカップが欲しいと

ずっと前から思っていました。

 

ちょうどよいのが手に入って嬉しいです。

 

 

 

私の将来の目標の一つに

茶道の教室をするというのがあります。

それが叶う時、

 

せっかく

茶道など、

そういった日常動作の美しさに

関心のある人が教室に来てくれるなら

抹茶茶碗の扱い方だけでなくて

もっと、日常で使う食器…

ティーカップの持ち方を

伝えられたらいいと思いました。

 

 

しかしながら

茶道は茶道として

指導内容が決まっていますから、

指導者の個人的な考えで

生徒さんに

ティーカップの持ち方をうるさく言うのは

余計なお世話ですし

本来教えることではないので、

やるなら

生徒さんにとって不愉快でないように

自然と楽しみながら

聞いてもらわないといけないと

思います。

 

 

茶道と関係ないのに

ティーカップに熱い紅茶を出されて

持ちにくいやり方で飲むよう勧められたら、

生徒さんは

釈然としないでしょう。

興味をなくしてしまったら

元も子もないことです。

 

 

そこで

可愛いデミタスカップ

ジュースをすすめて、

指先でつまんで持つやり方を

たしかめるのはどうかと

思いつきました。

 

 

そうすれば

火傷の心配もなく

安心して手の形を練習できますし

重たくないから

慣れていなくても、手が痛みません。

 

ハンドルに最初から穴がなければ

「指を絡めてはいけないわよ」と

指摘して

嫌な気持ちにさせることもありません。

 

 

こんなデザインのカップがあるんだと、

感動してもらえるところから

レッスンが始まったら

レッスンがレッスンとも思われず

明るい会話として楽しめると思ったのです。

 

 

 

そんなわけで

美しさに喜びを感じる人と

将来、出会えるのを想像しながら、

手のひらにのる小さなカップ

満足感たっぷりに

ながめております。

 

 

今年のクリスマスは特別、神聖に迎える気がするなあ。

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夏ごろ

自分自身の瞑想で

預言を受け取った時に

「誰か尊い人を育てて

役目を終えたら別れる」って言われたから

それとシンクロするみたいに

気になって

購入した、東方の三賢王。

彼らは占星術師です。

ちょっと心の支えにしている。

 

本当は

気に入ったものは

迷いなく購入していいんだろうけど

なんとなく、

私の中で骨董品は贅沢品というか

ためらいがちで、

「クリスマスに使えるから買う」みたいに

自分を納得させて買いました。

だから

やっと使えるから嬉しい。

本当はそんなルール

いらないんだろうけど。

 

 

アンティークの幻灯機スライド。

山際の白んだグラデーション

星瞬く明け方の空と

賢者の衣服の赤が

美しい。

ヒ素など

今では許可されていない原料で

色を出してるかもしれないので

小さい子どもが泊まりに来た時は

奥にしまいました。

ガラスですし。

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普段は

後ろからLEDで照らして

ベッドライトにしている。

 

昨日

預言カフェで

礼拝の前と後に連続で

預言を受け取りました。

何度も受け取っていいのか?というと

良いそうです。

何度も受け取って問題あるような預言は

問題があるという考え方をするようです。

なるほど。

 

なので

安心して受け取りました。

 

自分の頭で受信する預言と

人の口から聞く預言が

シンクロするのは

本当に不思議で

それも

自分に向けられた言葉と感じるから

神さまってすごいなぁって思う。

 

 

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

 

 

 

主が言われます。

愛する我が娘よ。

主はあなたを愛していると

主が言われます。

あなたの素直な心を喜んでいると、

主が言われます。

 


次の世代の人を育て、

面倒をみているだけで

その時間が過ぎていくのではなくて

その人たちがまた成長して

また次の人を教えるように

再生産されていく

価値ある、

始まりを作るものとして

私はあなたを用いますと、

主が言われます。

 


いろいろな人たちの意見を聞いていると

何が一番良いのか

わからなくなることもあります。

少し自分勝手なように感じるかもしれないけど

でも

自分がこうだと思ったことを

積極的に信じて、

挑戦していくことが必要ですと、

主が言われます。

みんながご機嫌がいいように

合わせるというような選択の仕方ではなく

少しの摩擦や何か不理解があることを

恐れてはいけないと、

主が言われます。

その中にあっても

私はちゃんと…

今日いっきに

全てのことが整っているのではなくて

だんだんと調整されて

だんだんと

「この間はちょっとよくなかったけど、

少しずつ良くなって来ている」と

そのように

あなたを成長させていくと、

主が言われます。

初めから完成されている人がいたら

飽きて嫌になってしまうけれど

未熟だからこそ

喜びがあり、希望があり、

何かやりたいという気持ちが持続していく

こうやって私は長い時間を与えて

その中の成果が

良いものとなるようにしていくと、

主が言われます。

 


ある人たちは

パッと来て、去っていく

そのような人たちもいますが

それらのことに気をとられて

傷ついてがっかりしてはいけないと、

主は言われます。

自分は自分と、何か信じたものに熱心に

何か目標に向かって

進んでいくことができるように

私は、

切り替える心をあなたに与えているから。

あなたがそうであれば

周りの人たちも

それに良い意味で感化されて

後ろのこと、以前のことや

周りの状況に振り回されて

恐れてしまう者ではなく

どんな状況でも前に進んでいく、

極めていくことができる者として

私はあなた方を祝福しますと、

主が言われます。